に小《ささ》やかな三階づくりが出来て、階下には理髪店が開かれたが、その三階にチラと見える爺さんの相変らずの姿、ようこそあれござんなれとばかり、訪れて見ると、四畳半ほどの一間に朴の木樫の木撫の木を散らばして昔ながらの下駄歯入れ、仔細を訊けば爺さん軽く笑って、「なァにね、実は植木の置場に困ってきやしたので間借りじゃァおっつかず、とうとうこんな棒立小屋を建てやしたのさ!」と至極簡単なもの。段々詮索して見ると、それでも歯入れ渡世で兎も角も家一つを建て、階下を理髪業者に貸し与え、二階にも砲兵工廠に通う夫婦者の職工を棲まわせ、己れ一人は三階の四畳半に独居の不自由を自由とし、尺寸の屋上庭園には十数鉢の盆栽をならべて間がな隙がなその手いれを怠らず、業余にはこれを唯一の慰藉として為めに何ものをもこれに代うるに躊躇せぬ。かれがその妻を去ったのもこの盆栽を疎かにしたからで、蓄財を傾けて己が棲所をしつらえたもこれ故である。
 実際かれはかばかりの自然児である。半宵もし軒をうつ雨の音を聞く時は、蹶然褥を蹴って飛び起き、急ぎ枕頭の蝋燭に火を点《とも》して窓を開け放つなり、火影に盆栽の木々の枝葉の濡色を照らし見て、独り自ら娯しむ。所以を訊ぬれば曰く、「いえね、雨が降ると植木が喜びますんでね、これを見るのが嬉しゅうがすて!」
 かれはまた絵画を好む、往々上野の展覧会場に半日の清閑を楽しんで、その憧憬を恣にすることは必ずしも稀らしくない。しかしかれは文盲だ、眼に一丁字なく、耳に一章句を解せぬが、しかもよく大義名分を弁え、日露の役には区民に率先して五十円を献金し、某の侯爵に隣してその姓名を掲げられたが、実は侯爵よりも数日を先んじて報公の志をつくしたのであったそうな。
 吾が江戸ッ児には如此《かくのごとき》好漢今に幾千かを数え得る。但し、この自然児は長脇差の裔で、祖父も父も江戸に名高い顔役の一人であったとやら……。
 けれどもかれはその後を継ぐに潔からざった。維新後父の死歿を機として遺産のすべてを乾児《こぶん》どもに頒ち、「己はこんな金で気楽に暮らすことなんざァ金輪際嫌えだ。こりゃァ残らず手めえッちょに与《く》れてやらァ。だがよ、後生だから真人間になってくれ、え、真人間に! こんなことをいつまでかしてえちゃァ天道様の罰があたるぜ」――この言の如くかれは鐚《びた》一文親の金には手をつけず、家財までもそのま
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