どもまた即興の句にも及ばず、上野の彼岸桜に始まって、やがて心も向島に幾日の賑いを見せ、さて小金井、飛鳥山、荒川堤と行楽に処は尠からぬも、雨風多き世に明日ありと油断は出来ず、今日を一年の晴れといろいろにおもいを凝らし、花を見にゆくのか人に見られに行くのかを疑うばかりであった桜狩りの趣向も、追々に窮屈になりこして、しかも無態な広告の看板や行列に妨げられ、鬼の念仏お半長右衛門の花見姿は見ることもならず、相も変らぬは団子の横喰い茹玉子、それすら懐で銭を読んでから買うようになっては情ないことこの上なし、世は已に醒めたりとすましていられる人は兎も角、こちとらには池塘春草《ちとうしゅんそう》の夢、梧の葉の秋風にちるを聞くまでは寧ろ醒めずにいつまでもいつまでも酔っていて、算盤《そろばん》ずくで遊山する了見にはなりたくないもの、江戸ッ児の憧憬はここらにこそ存《あ》っておるはずであるのに……。
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 弥助と甘い物



 江戸ッ児は上戸ばかりと相場のきまったものでもなければ、下戸にも相応の贅はある。されば一[#(ト)]わたり上戸と下戸の口にあう鮨と餡ころの月旦を試みように、弥助は両国の与兵衛、代地の安宅の松、葭町《よしちょう》の毛抜鮨とか、京橋の奴や緑鮨、数え立てたら芝にも神田にも名物は五ヶ所七ヶ処では利かないが、何といっても魚河岸のうの丸にとどめを差す。
 凡そ鮪の土手を分厚の短冊におろして、伊豆のツンとくるやつを孕《はら》ませ、握りたてのまだ手の温味《ぬくみ》が失せぬほどのを口にする旨さは、天下これに上こす類はないのだ。
 そこへゆくと与兵衛鮨は甘味が勝ち過ぎ、松ずしは他の料理に心をおくようになって、頓と元ほどの味なく、毛抜鮨も笹の葉と共に大分お粗末になって、その他のはお談《はなし》にならず、ただ名のみを今も昔のままに看板だけで通している為体《ていたらく》、して見ると食道楽の数も大分減ったのが判るようだ。
 甘いものは餅菓子に指を屈して汁粉、餡ころにも及ぶべく、栄太楼の甘納豆、藤村の羊羹、紅谷の鹿の子、岡野の饅頭と一々は数え切れず、それでもこれらの店には今も家伝の名物だけは味を守って、老舗の估券《こけん》をおとすまいとしているが、梅園の汁粉に砂糖の味のむきだしになったを驚き、言問団子に小豆の裏漉しの不充分を嘆《かこ》つようになっては、駒形の桃太郎団子、外神田の太々餅も
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