さっきとかげの奥さんが提出なすった問題に、ちっとも触れなかったじゃありませんか。奥さんは、『世界とは何でしょう』とお尋ねだったのですよ。だのに自分のお団子の話をするなんて、それじゃむしろ失礼と言うもんじゃありませんか。世界とは――世界というものは、僕に言わせると、こうして僕らのために若草があり、太陽があり、そよそよ風がある以上、すこぶる結構なものだと思いますね。それにまた実に大きなものですよ! あんたなどは、こうしてこの木とあの木のあいだを天地として暮らしておられるから、世界がどれほど大きなものかということについては、とても理解が行くはずはありませんよ。僕はよく耕地へ行って見ますがね、そこでときどき、思いっきり高くとびあがって見るんです。そして正直な話が、とても高いとこまでとびあがれるんですがね、その高みから見渡すと、つくづく世界には際限がないと思いますねえ。」
「まったくその通りじゃ」と、分別顔で栗毛の馬が相槌《あいづち》をうちました、「とはいうもののお前さんたちはみんな、わしがこの歳《とし》までに見て来たものの、百に一つも見られはせんのじゃよ。お気の毒じゃがお前さんたちには、一露里がどんなものじゃやら見当がつくまい。……ここから一露里行ったところには、ルパーレフカという村がある。わしは毎日その村へ水をくみに、たるを背負って出かけるのだ。だがあの村じゃ一ぺんだって飼料《かいば》をくれたことがないな。それからまた別の方角には、エフィーモフカだのキスリャーコフカだのという村がある。このあとの方には教会というものがあってな、鐘がころんころんと鳴っておる。その先はスヴャト・トローイツコエ村、またその先はボゴヤーヴレンスクじゃ。ボゴヤーヴレンスクでは、行くたんびに乾草をくれるが、あすこの乾草は風味がよくない。だがほれ、ニコラーエフへ行くと――これはここから二十八露里もある町じゃがな、あすこの乾草はなかなかええし、それに燕麦《えんばく》の御馳走《ごちそう》も出るのじゃ。ただどうもあそこへ行くのがいやでならんというのは、あの町へ行くときは旦那を馬車に乗っけて行くのでな、馭者《ぎょしゃ》というものが旦那の言いつけでわしらを駆り立てるのじゃ。いやその馭者の振りおろすむちの痛いのなんのって……。まだそのほかに、アレクサンドロフカ、ベロジョールカなどいう村もあるし、ヘルソーンというのも
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