、自分の道を切り開きますわ。私はこんな鉄格子《てつごうし》やガラスごしにではなく、じかに青空と太陽が見たいんです。――いいえ、見ないで置くもんですか!」
そういうとしゅろは、まるで翠《みどり》の小だかい峰のように、目の下にひろがっている温室仲間の林を傲然《ごうぜん》と見おろしました。仲間はだれひとりとして、彼女に言葉を返す勇気のあるものはなかった。ただサゴ椰子が隣りのそてつに向かって、小声でこう言っただけでした。
「まあ見ていましょうよ。お前さんのうぬぼれがいい加減でやまるように、その憎たらしい大頭のちょん切られるところを、ゆっくり拝見するとしましょうよ。本当に高慢ちきな女だわ!」
ほかの草木は黙っていましたが、心の中ではやはり、アッタレーアの横柄な言葉に腹をたてておりました。ただここに一本の小さな草があって、その草だけはしゅろの態度に腹もたてなければ、彼女のお談義に気を悪くしてもいませんでした。それは温室じゅうの草木のなかで一ばんみじめな、だれにも相手にされないような小さな草でありました。ひ弱な、色つやのないはい草で、厚ぼったいしなびた葉をつけていました。この草には別にこれといって目だった特徴もなく、ただ温室の床《とこ》の裸地を隠すために植えてあったのでした。彼女は自分のからだを大きなしゅろの根元へ巻きつけて、その言葉に耳を澄ましておりましたが、なるほどアッタレーアのいう通りだと思いました。自分としてはべつに熱帯の大自然を知っているわけではないのですが、やっぱり大気と自由は好きだったのです。温室は彼女にとっても、やはり牢屋《ひとや》でありました。『私みたいなつまらないしなびた草でさえ、自分の育ったあの灰色の空や、青ざめた太陽や、冷たい雨にあえないのが、こんなにもつらいんだもの。この見事な威勢のいい木にしてみれば、とらわれの境涯がどんなにか切ないことでしょう!』そう彼女は考えて、しゅろの幹にやさしくまつわりついて甘えるのでした。『なぜ私は大木に生まれつかなかったのだろう? 大木に生まれてさえいたら、この人の忠告どおりにしたろうに。私たちは手に手をとってぐんぐん伸びて、一緒に自由の天地へ乗り出せただろうに。そうなったらほかの連中だっても、なるほどアッタレーアの言う通りだったと、思い当たるに違いないわ。』
けれど彼女は大木ではなくて、ほんの小っぽけなしなびた草でありました。ですから彼女にとっては、アッタレーアの幹にいよいよ優しくまつわりついて、一か八か試みられようとしているその幸福を、自分もどんなに愛しているか、どんなに望んでいるかということを、彼女にささやくのが関の山だったのです。
「今さら申すまでもないことですが、私たちの国はあなたのお国のように暖かでもありませんし、空も澄みきってはいませんし、また豊かな大雨が降るわけでもありません。けれど私たちの国にだって、空もあれば、太陽も風もありますわ。私たちの国には、あなたやあなたのお友だちのように、大きな葉やみごとな花をたわわにつけた、はなやかな草木は見られませんわ。けれど私たちの国にだって、松だとかもみだとかしらかばだとか、とても立派な木がはえていますわ。私は小っぽけな草ですから、とても自由なんぞ望めそうもありませんが、あなたはそんなになりも大きいし、力もおありですもの! あなたの幹は丈夫ですし、それにあと一伸びすればガラス屋根にとどくんですわ。あなたは屋根をぶち抜いて、ひろびろした天地へ出て行けるに違いありませんわ。そうしたらこの私に、大空の下は今でもやっぱり昔ながらの見事なながめかどうかを、話して聞かせて下さいね。私はそれだけで満足しますわ。」
「ねえ小さなつる草さん、お前さんはなぜ私と一緒に出て行こうと思わないの? 私の幹は丈夫でしっかりしているわ。私の幹によりかかって、ここまではいのぼっておいで。お前さんを背負って行くぐらい、私にはなんでもないんだから。」
「いいえ、とても私にはだめですわ! だってほら、私はこんなにしなびた弱い草なんですもの、つる一本だって持ちあげる力はありませんわ。いいえ、とても御一緒には参れません。あなたは一人で伸びて、幸福になって下さい。ただ一つお願いは、あなたが自由の天地へお出なすったとき、時たまはこの小っぽけな友だちのことを思い出して下さいね!」
そこでしゅろは伸びはじめました。今までも温室を参観にきた人々は、彼女のすばらしい身のたけに驚きの目をみはったものですが、その彼女がひと月ましにますます高くなって行ったのです。園長はこのめざましい伸び方を、世話がよく行き届いたせいにして、温室を経営して務めを遂行してゆく上での、自分の見識を誇るのでありました。
「まあ一つ、そのアッタレーア・プリンケプスを見て下さい」と、園長は言うのでした、「これほどよく育ったやつは、ブラジルへ行ったってめったには見られませんよ。私どもは、植物たちが温室の中にいても、野育ちの場合とまったく同様に思うさま伸びられるように、知能を傾けたものですが、私にはどうやら、多少の成功を収めたように思われますよ。」
そう言いながら、園長はさも得意そうな面もちで、ステッキをあげてその丈夫な木膚をたたいて見せるのでした。するとその音は、温室じゅうにびんびん響きわたるのでした。しゅろはこの打擲《ちょうちゃく》にたえかねて、葉をわなわなとふるわせるのでありました。おお、もしも彼女に声があったなら、どんなに物すごい忿怒《ふんぬ》の叫びを、園長は耳にしたことでありましょうか。
『あの人は、あたしがこうして伸びるのを、あの人を喜ばせるためだと思ってるんだわ』と、アッタレーアは心につぶやくのでした、『勝手にそう思うがいい!』
そして彼女は、あらん限りの樹液をひたすら伸びるために使って、根や葉にまわる樹液をまで奪いながら、ぐんぐん伸びて行きました。時おり彼女には、円天井までの距離がいっこうに縮まらないような気がするのでした。すると彼女は力いっぱいに気ばるのです。そうこうする内に、わくはだんだん近くなって、とうとう一枚の若葉が、ひやりと冷たいガラスと鉄わくにさわりました。
「ご覧よ、ご覧よ」と草木はどよめき立ちました、「とうとうとどいちまったわ! 本当にやる気なのかねえ?」
「まったくおっかないほど伸びたもんだなあ!」と、木みたいなかっこうのわらびが申しました。
「へん、伸びたが何ですかね! なんと珍妙なかっこうじゃありませんか! これこの私みたいにふとれたら、それこそ大したもんですけれどねえ!」と、ビヤだるみたいな胴をした、ふとっちょのそてつが申しました、「それにまた、ひょろ長くなったところで何になりますかね? 結局なに一つできはしませんよ。格子はがんじょうだし、ガラスは厚いんですものね。」
また一と月たちました。アッタレーアはもっと高くなって、とうとうしまいには、ぴんと鉄わくにつっぱってしまいました。もうそれ以上は伸びる場所がありません。そこで幹はしないはじめました。大きな葉のむらがり茂ったてっぺんのところは、もみくしゃになりました。わくとりの冷たい鉄棒が、柔らかな若葉の膚へくい入って、ずたずたに引き裂いたり、みじめなかっこうに押しひしゃげたりしましたが、しゅろはたじろぎはしませんでした。葉がどうなろうと、その身がどうなろうといっさいいとわず、ひた押しに格子を押しあげたので、さしもがんじょうに鉄で組みあげた格子も、とうとうじりじりとしないはじめました。
ちいさなつる草は、この戦いのありさまをじっと見守っていましたが、心配のあまり今にも気が遠くなりそうでした。
「ねえ、あんたそれで痛くはないこと? 鉄わくはそんなにがんじょうなんだから、いっそ引きさがった方がよくはなくって?」と、小草はしゅろにききました。
「痛いですって? 自由の天地へ出ようという一念の前に[#「一念の前に」に傍点]、痛いくらいが何ですか? 私を励ましてくれたのは、そのお前さんだったじゃないか?」と、しゅろの木は答えました。
「ええ、励ましては上げましたわ。だってそれほどむずかしいこととは、知らなかったんですもの。お気の毒で見ちゃいられませんわ。さぞ苦しいでしょうにねえ。」
「おだまり、いくじなしめ! 私に同情してなんかもらいますまい! 私はもう死ぬか自由になるか、二つに一つです!」
とそのとき、天地をふるわすような大きな音がしました。太い鉄の棒が一本はじけ飛んだのです。ガラスのかけらが、がらがらっと音をたてて天から降って来ました。かけらの一つは、ちょうどそのとき温室のそとへ出た園長の帽子に、こつんと当たりました。
「こりゃ何ごとだろう?」と園長は、きらきらと空中に散乱したガラスのかけらを見て、どきりとして大声をあげました。そして温室をはなれていっさんに庭へ駆けだすと、屋根をふり仰いで見ました。みればガラスの円屋根のうえには、ぴんと頭をもたげたしゅろの木の緑色の冠が、誇りかにそびえているではありませんか。
『たったこれだけの事か』と、そのしゅろは考えておりました、『たったこれだけの事のために、私はあんなに長いあいだ、つらい苦しい思いをしたのかしら? これんばかりの物を手に入れるのが、私にとっての最高の目的だったのかしら?』
もう秋も深くなっておりました。そのころになってアッタレーアは、やっとあいた穴からぐいと頭をつき出したのです。みぞれまじりの氷雨《ひさめ》が、しとしとと降っておりました。身を切るような北風が、ちぎれちぎれの灰色の雨雲をひくくはわせておりました。まるでその雲が両手をひろげて、抱きついて来るような気がしました。木々はもうすっかり葉を振り落として、なんだかみっともない死人のような姿をしておりました。松ともみの木だけは、暗い緑色の針葉をつけておりました。そうした木々が、陰気なまなざしでしゅろをながめているのでした。『凍え死んじまうぞ!』と、木々は彼女に言っているようでした、『お前は北国の寒さがどんなものだか、知りはしないのだ。お前はとても辛抱はできまいよ。せっかく温室にいたものを、なんだってまた出て来たんだ!』
そこでアッタレーアは初めて、とり返しのつかない事をしてしまったと悟りました。彼女は凍えそうに寒かったのです。また屋根の下へ帰ってはどうでしょう? けれど今となっては、もはや帰るすべもないのです。彼女は寒い風の吹きすさぶなかにたたずんだまま、どっと押しよせる風の重さや、ひりひりと膚《はだえ》をかすめる粉雪の痛さをじっと忍びながら、きたならしい色をした空や、みすぼらしい北国の自然や、植物園のむさくるしい裏庭や、さ霧のかなたに見えがくれする単調な大都会のたたずまいやを、ながめていなければならないのです。下界の温室のなかで、人間たちが自分のあと始末を相談しているあいだ、そうして待っていなければならないのです。
園長はしゅろの木をのこぎりでひいてしまえと言いつけました。『あの上にもうひとつ別の円屋根を建て増してもいいが』と、園長は申しました、『だがそれも長いことはあるまい。あの木はまた伸びて行って、やっぱりこわしてしまうだろうよ。それにまた建て増すとなれば、お金もどっさりかかるからなあ。面倒だ、ひいてしまえ。』
しゅろは太い綱で縛りあげられました。倒れるとき温室の壁をこわさないための用心でした。そしてすぐ根元のところから、のこぎりでひかれてしまいました。その幹に巻きついていたあの小さなつる草は、どうしても友だちと離れたがらなかったので、やっぱり一緒にのこぎりの歯にかかってしまいました。やがてしゅろが温室からひき出されたとき、あとに残った切株のうえには、のこぎりの歯に引きちぎられ、ずたずたになったつる草の茎や葉が、みだれ伏しておりました。
「このろくでなしも引っこ抜いて、捨ててしまうんだ」と、園長は申しました、「もう黄色っぽくなっているし、それにのこぎりの歯でひどくいたんでしまった。ここには何かほかの草を植えようよ。」
園丁の一人が手ぎわよく根もとへくわを入れて、一とかかえもあるつる草をぐ
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