ば直《たゞち》に之を絶《た》つにあり、我れ饑《う》ゆるとも可なり、我の妻子《さいし》にして路頭《ろとう》に迷《まよ》ふに至るも我は忍《しの》ばん、真理《しんり》は我と我の家族《かぞく》より大なり、此《この》決心《けつしん》を実行《じつこう》あらん乎《か》、教会《けうくわい》は直《たゞち》に復興《ふくこう》し始《はじ》むべし、是《こ》れなからん乎、復興は世《よ》の終《おはり》まで待《ま》つも来《きた》らざるべし。
問、足下《そくか》は尚ほ[#「は尚ほ」に白丸傍点]何時迄《いつまで》も[#「も」に白丸傍点]著述《ちよじゆつ》に[#「に」に白丸傍点]従事《じうじ》せれんとする乎[#「せれんとする乎」に白丸傍点][#「せれ」の左側に「〔ら〕」の注記](基督《きりすと》信徒《しんと》に他人の仕事《しごと》を気《き》にする者|多《おほ》し)。
答、余《よ》は基督《きりすと》の兵卒《へいそつ》なり、兵卒は其時《そのとき》の来《きた》る迄《まで》は何《なに》をなすべきかを知らず、主《しゆ》の命《めい》ならん乎、余《よ》は高壇《かうだん》に立《た》つ事もあるべし、官海《くわんかい》に身《み》を投《たう》ずるやも計《はか》られず、基督信者は目的《もくてき》なき者なり、自《みづ》から一の目的《もくてき》を定《さだ》め、万障《ばんしやう》を排《はい》し、終生《しうせい》一|徹《てつ》其《その》目的点《もくてきてん》に達《たつ》せんと勉《つと》むるが如きは余《よ》の不信仰《ふしんこう》時代《じだい》の行為《こうゐ》なりき、主《しゆ》の命《めい》維《こ》れ徇《したが》ひ、今日《こんにち》は今日《こんにち》の業《げふ》を成《な》す、是《こ》れ余《よ》の今日《こんにち》の生涯《しやうがい》なり、余に計画《けいくわく》なる者あることなし、何と愍《あはれ》むべき(羨むべき)生涯《しやうがい》ならずや。
問、他人《たにん》に[#「に」に白丸傍点]道《みち》を説くに[#「を説くに」に白丸傍点]如何《いか》なる[#「なる」に白丸傍点]方法《はうはふ》を採《と》るべきや[#「るべきや」に白丸傍点]。
答、余《よ》は曾《かつ》て如此《かくのごと》き事を試《こゝろ》みし事なし、否《い》な試《こゝろ》みて其《その》甚《はなは》だ馬鹿気《ばかげ》切《きつ》たる事を認《みと》めたれば全然《ぜん/\》之を放棄《は
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