かるにバンヤンは始めから終りまでこの本を読んだ。彼は申しました。「私はプラトンの本もまたアリストテレスの本も読んだことはない、ただイエス・キリストの恩恵《めぐみ》にあずかった憐れなる罪人であるから、ただわが思うそのままを書くのである」といって、"Pilgrim's Progress" 《ピルグリムス プログレス》(『天路歴程』)という有名なる本を書いた。それでたぶんイギリス文学の批評家中で第一番という人……このあいだ死んだフランス人、テーヌという人であります……その人がバンヤンのこの著を評して何といったかというと「たぶん純粋という点から英語を論じたときにはジョン・バンヤンの "Pilgrim's Progress" に及ぶ文章はあるまい。これはまったく外からの雑《まじ》りのない、もっとも純粋なる英語であるだろう」と申しました。そうしてかくも有名なる本は何であるかというと無学者の書いた本であります。それでもしわれわれにジョン・バンヤンの精神がありますならば、すなわちわれわれが他人から聞いたつまらない説を伝えるのでなく、自分の拵《こしら》った神学説を伝えるでなくして、私はこう感じた、私はこう苦しんだ、私はこう喜んだ、ということを書くならば、世間の人はドレだけ喜んでこれを読むか知れませぬ。今の人が読むのみならず後世の人も実に喜んで読みます。バンヤンは実に「真面目なる宗教家」であります。心の実験を真面目に表わしたものが英国第一等の文学であります。それだによってわれわれのなかに文学者になりたいと思う観念を持つ人がありまするならば、バンヤンのような心を持たなくてはなりません。彼のような心を持ったならば実に文学者になれぬ人はないと思います。
今ここに丹羽さんがいませぬから少し丹羽さんの悪口をいいましょう(笑声起る)……後でいいつけてはイケマセンよ(大笑)。丹羽さんが青年会において『基督《キリスト》教青年』という雑誌を出した。それで私のところへもだいぶ送ってきた。そこで私が先日東京へ出ましたときに、先生が「ドウです内村君、あなたは『基督教青年』をドウお考えなさいますか」と問われたから、私は真面目にまた明白に答えた。「失礼ながら『基督教青年』は私のところへきますと私はすぐそれを厠《かわや》へ持っていって置いてきます。」ところが先生たいへん怒った。それから私はそのわけをいいました。アノ『基
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