とについて私の今まで考えましたことと今感じますることとをみな述べまするならば、いつもの一時間より長くなるかも知れませぬ。もし長くなってつまらなくなったなら勝手にお帰りなすってください、私もまたくたびれましたならばあるいは途中で休みを願うかも知れませぬ。もしあまり長くなりましたならば、明朝の一時間も私の戴いた時間でございますからそのときに述べるかも知れませぬ。ドウゾこういう清い静かなところにありまするときには、東京やまたはその他の騒がしいところでみな気の立っているところでするような騒がしい演説を私はしたくないです。私はここで諸君と膝を打ち合せて私の所感そのままを演説し、また諸君の質問にも応じたいと思います。
 この夏期学校に来ますついでに私は東京に立ち寄り、そのとき私の親爺《おやじ》と詩の話をいたしました。親爺が山陽《さんよう》の古い詩を出してくれました。私が初めて山陽の詩を読みましたのは、親爺からもらったこの本でした(本を手に持って)。でこの夏期学校にくるついでに、その山陽の本を再《ふたた》び持ってきました。そのなかに私の幼《ちい》さいときに私の心を励ました詩がございます。その詩は諸君もご承知のとおり山陽の詩の一番初めに載《の》っている詩でございます、「十有三春秋《じゅうゆうさんしゅんじゅう》、逝者已如水《ゆくものはすでにみずのごとし》、天地無始終《てんちしじゅうなく》、人生有生死《じんせいせいしあり》、安得類古人《いずくんぞこじんにるいして》、千載列青史《せんざいせいしにれっするをえん》」。有名の詩でございます、山陽が十三のときに作った詩でございます。それで自分の生涯を顧みてみますれば、まだ外国語学校に通学しておりまする時分《じぶん》にこの詩を読みまして、私も自《おのず》から同感に堪《た》えなかった。私のようにこんなに弱いもので子供のときから身体《からだ》が弱《よお》うございましたが、こういうような弱い身体であって別に社会に立つ位置もなし、また私を社会に引ッ張ってくれる電信線もございませぬけれども、ドウゾ私も一人の歴史的の人間になって、そうして千載青史に列するを得《う》るくらいの人間になりたいという心がやはり私にも起ったのでございます。その欲望はけっして悪い欲望とは思っていませぬ。私がそのことを父に話し友達に話したときに彼らはたいへん喜んだ。「汝にそれほどの希望が
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