。ジラードの生涯を書いたものを読んでみますると、なんでもない、ただその一つの目的をもって金を溜めたのです。彼に子供はなかった、妻君も早く死んでしまった。「妻はなし、子供はなし、私には何にも目的はない。けれども、どうか世界第一の孤児院を建ってやりたい」というて、一生懸命に働いて拵《こしら》えた金で建てた孤児院でございます。その時分はアメリカ開国の早いころでありましたから、金の溜め方が今のように早くゆかなかった。しかし一生涯かかって溜めたところのものは、おおよそ二百万ドルばかりでありました。それをもってペンシルバニア州に人の気のつかぬ地面をたくさん買った。それで死ぬときに、「この金をもって二つの孤児院を建てろ、一つはおれを育ててくれたところのニューオルリーンズに建て、一つはおれの住んだところのフィラデルフィアに建てろ」と申しました。それで妙な癖があった人とみえまして、教会というものをたいそう嫌ったのです。それで「おれは別にこの金を使うことについて条件はつけないけれども、おれの建ったところの孤児院のなかに、デノミネーションすなわち宗派の教師は誰でも入れてはならぬ」という稀代《きたい》な条件をつけて死んでしまった。それゆえに、今でもメソジストの教師でも、監督教会の教師でも、組合教会の教師でも、この孤児院にははいることはお気の毒でございますけれどもできませぬ(大笑)。そのほかは誰でもそこにはいることができる。それでこの孤児院の組織のことは長いことでございますから、今ここにお話し申しませぬけれども、前に述べた二百万ドルをもって買い集めましたところの山です。それが今日のペンシルバニア州における石炭と鉄とを出す山でございます。実に今日の富はほとんど何千万ドルであるかわからない。今はどれだけ事業を拡張してもよい、ただただ拡張する人がいないだけです。それでもし諸君のうち、フィラデルフィアに往く方があれば、一番にまずこの孤児院を往って見ることをお勧め申します。
 また有名なる慈善家ピーボディーはいかにして彼の大業を成したかと申しまするに、彼が初めてベルモントの山から出るときには、ボストンに出て大金持ちになろうという希望を持っておったのでございます。彼は一文なしで故郷を出てきました。それでボストンまではその時分はもちろん汽車はありませんし、また馬車があっても無銭《ただ》では乗れませぬから、
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