でくれた。彼は若いやさしい父だつた。
「お父つあん、お前がこの土地を見切つて東京へ行ぐ氣にさなれば、子供等もおら[#「おら」に傍点]もどんなに助かるか知れやしねえ。お前が出てくりや直ぐにでも××工場へ入れるやうにしといてやると×さんもいつてるでなえか、それに彼處は仕事も樂だし社宅もくれべえつて話だに‥‥‥」
彼女は幾度も寡默な夫を唆してゐた。そして間もなく、夫や子供達をひつ浚ふやうにして東京へいつてしまつた。その後、私は一度も彼等育てゝくれた親にも乳きやうだいにも逢はない。やつぱり彼等は煉獄から煉獄への道を踏み迷つてゐるだろう。
鐵骨ばかりのビルヂングの下で二人の男が上を見上げながら話してゐた。
「何てえ鈍間な野郎だッ、建築つて奴あ、一度ケチがつきやあがると、それからそれへと縁起が惡くつて、碌なこたありやあしね、危險なこたあ解り切つてるのに、餘ッ程、ドヂな野郎ぢやねえか‥‥‥」
「何でもふだんから俺あ、のろま[#「のろま」に傍点]な野郎だとおもつてた‥‥‥」
詰襟の服にゲートルを捲いてる技師らしい男と、アルパカのもぢりみたいなものを、ふわりと上から羽織つた親方らしい男と、鉛色の蹠を見上げて怒罵を浴せてゐた。
何時? 何處から? どうして? その足は歩きつゞけて來たゞろう。その足は、都會に幸福を求めていつた父の足だ、ブルジョアジイが噛んで吐き出すやうな食物を求める爲に、生涯の血と汗とを拂はなければならないあの父と子供の足だ!
今に今にあの足は、ビルヂングの鐵骨の上から立ち上つて、何千何萬何億もの足と一緒に、全世界の軍隊よりも[#「よりも」は底本では「よ も」と欠字]歩調を合せて、一つの行進曲を奏するだろう。私の頭の上では、矢ッ張り激しく鋲締機が鳴り喚いてゐる。
……私は一體、睡つてゐるのか、覺めてゐるのか‥‥‥‥。
底本:「解放10月号」解放社
1926(大正15)年10月1日発行
入力:林幸雄
校正:大野裕
2001年1月17日公開
2001年1月18日修正
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