のがなくなり、ぱったり客足が絶えてしまうので、一家の浮沈、生命の問題にまで拘わる事なのである。

      4 死への道 

 そしてまた彼女達は、何と容易に死を選ぶことだろう、刃物で、劇薬で、鉄道線路で……。
 ××楼のあの座敷は、三度情死のあった場所だろうか、壁を塗り代えても畳をとりかえても、すぐ血痕が附着するとか、線路上に飛散した男女の肉片が、夜来の豪雨に洗い曝された、烏賊《いか》の甲のようにキレイだったとか――色々のことを私は聴いた。[#底本では、この行頭の1字下げ無し]
 何時《いつ》の世にもこうした悲惨な事件が、何処の遊郭にも公娼の制度の存する限り、記録なき歴史を繰り返してゆくであろう。
 また私はある者が、暗い小部屋で肺患に呻吟しているのを見た。
 蒼ざめ痩せ細っていても、まだ快方に向かう希望のある中は、一歩も其処から解放されることはできないだろう。譬えまた、自由に行け、行って静養しておいで! といわれた処で、帰るべき家に、病人の彼女が齎らしてゆくおみやげは、一家の負担を一層切なくする飢えをもってゆくだけだろう。
『大抵な女を、可哀想だと思って家に帰すと、帰って直ぐに死んでしまう、それは此処にいるように養生が出来ないからだ……』
 彼女達の抱え主はよくそんな事をいう。何という悲惨な事だろう。そしてそれは抱え主の優越感ばかりでなく実際のようだ。
 然し彼女達がその奴隷の境遇から優しく鎖を解かれる時は、既に医者から楼主へ、死の宣告の下された時だ!
 それからまた私は見た――
 彼女達は白昼|睡《ねむ》っている、疲労と栄養不良との死面《デスマスク》を!
 それから彼女達が何曜日かの朝、怪しげな美衣を纏って、不良な髪油と白粉との悪臭を放ちながら、白昼公然奇異な一群をなして、ぞろぞろと病院へ検診にやられる姿は、同性全体が担わなければならない耻かしめではないか。そして彼女達の生命は、この安価な惨めな取り扱いに日々腐乱し、鈍感にされてゆくばかりだ。
 そして私達は母として自分達が一つの生命に払って来た、デリケイトな心づかいを顧みる時に、それをまた、彼女達の生命の上に移して考える時に、あの真空の電球を、赤ン坊の目の前で破裂さして見るような、きわどい衝動《ショック》を感じないではいられない。
 母性というものは、貧しければ貧しいなりに、我が子の生命の為には惜しみなく心を労するものだ。彼女達も嘗ては球のような新しい身をもって生まれ、何よりも母親たちの恐れる麻疹、天然痘、疫痢、ジフテリア等に、幾種もの小児病を幸いにも無事に経過して来た、尊い肉体である事は、人として異《かわ》りないものを。                        

 湿地の棒杭の腐れから生える、あの淡紅《うすあか》い毒茸のような生存から、何時の日彼女等は救われるだろう――。
 豊饒な土壌に根を下ろして、憎い程太い幹をして、終日太陽の顔を正視するあの向日葵の花と咲いて、心ゆくばかり日光を吸収する事のできる――その日の為、彼女等よ、花苑は日に新しく耕されつつあるであろう。        



底本:「空にむかひて」 武蔵野書房
   2001(平成13)年1月21日第1刷発行
底本の親本:「婦人公論」第10年8号、中央公論社
   1925(大正14)年8月1日発行
入力:林 幸雄
校正:小林 徹
2001年3月19日公開
2001年9月3日修正
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