う聞《き》くと小踊《こおど》りをして、さっそく殿様《とのさま》の御殿《ごてん》へ行って、首尾《しゅび》よく玉《たま》の中へ絹糸《きぬいと》を通《とお》してお目にかけました。
殿様《とのさま》はびっくりして、こんどもお百姓《ひゃくしょう》にたくさん、御褒美《ごほうび》のお金《かね》を下《くだ》さいました。
お隣《となり》のお使《つか》いは絹糸《きぬいと》のりっぱに通《とお》った玉《たま》を返《かえ》してもらって、へいこうして逃《に》げていきました。その使《つか》いが帰《かえ》って来《く》ると、お隣《となり》の国《くに》の殿様《とのさま》も首《くび》をかしげて、
「信濃国《しなののくに》にはなかなか知恵者《ちえしゃ》があるな。これはうっかり攻《せ》められないぞ。」
と考《かんが》えていました。
こちらでも、さすがにこれで敵《てき》もあきらめて、もう来《こ》ないだろうと思《おも》っていました。
四
ところがしばらくすると、またお隣《となり》の国《くに》の殿様《とのさま》から、信濃国《しなののくに》へお使《つか》いが手紙《てがみ》を持《も》って来《き》ました。手紙《てがみ》といっしょに二|匹《ひき》の牝馬《めうま》を連《つ》れて来《き》ました。
「いったい馬《うま》なんぞを連《つ》れて来《き》てどうするつもりだろう。」とびくびくしながら、殿様《とのさま》が手紙《てがみ》をあけてごらんになりますと、二|匹《ひき》の馬《うま》の親子《おやこ》を見分《みわ》けてもらいたい。それができなければ、信濃国《しなののくに》を攻《せ》めほろぼしてしまうと書《か》いてありました。殿様《とのさま》はまた、連《つ》れて来《き》た二|匹《ひき》の馬《うま》をごらんになりますと、大《おお》きさから毛色《けいろ》まで、瓜《うり》二つといってもいいほどよく似《に》た馬《うま》で、同《おな》じような元気《げんき》ではねていました。殿様《とのさま》はお困《こま》りになって、また家来《けらい》たちに御相談《ごそうだん》をなさいました。それでもだめなので、また国中《くにじゅう》におふれを回《まわ》しまして、
「だれか馬《うま》の親子《おやこ》を見分《みわ》けることを知《し》っているか。うまく見分《みわ》けたものには望《のぞ》みの褒美《ほうび》をやる。」
と告《つ》げしらせました。
また国中《くにじゅう》の大さわぎになって、こんどこそうまく当《あ》てて、御褒美《ごほうび》にありつこうと思《おも》う者《もの》が、ぞろぞろ殿様《とのさま》の御殿《ごてん》へ、お隣《となり》の国《くに》から来《き》た二|匹《ひき》の牝馬《めうま》を見《み》に出かけました。ところがよほど見分《みわ》けにくい馬《うま》と見《み》えて、名高《なだか》いばくろうの名人《めいじん》でも、やはり首《くび》をかしげて考《かんが》え込《こ》むばかりでした。そこでお百姓《ひゃくしょう》はまた穴倉《あなぐら》へ行って、おかあさんに相談《そうだん》しますと、おかあさんはやはり笑《わら》って、
「それもむずかしいことではないよ。亡《な》くなったおじいさんに聞《き》いたことがある。親子《おやこ》の分《わ》からない馬《うま》は、二|匹《ひき》を放《はな》しておいて、間《あいだ》に草《くさ》を置《お》けばいい。するとすぐ草《くさ》にとりついて食《た》べるのは子供《こども》で、ゆるゆると子供《こども》に食《た》べさせておいたあとで、食《た》べ余《あま》しを食《た》べるのは母親《ははおや》だということだよ。」
と教《おし》えました。
お百姓《ひゃくしょう》は感心《かんしん》して、さっそく殿様《とのさま》の御殿《ごてん》へ行って、
「ではわたくしに見分《みわ》けさせて下《くだ》さいまし。」
といって、おかあさんに教《おそ》わったとおり、二|匹《ひき》の馬《うま》の間《あいだ》に青草《あおくさ》を投《な》げてやりますと、案《あん》の定《じょう》、一|匹《ぴき》ががつがつして草《くさ》を食《た》べる間《あいだ》、もう一|匹《ぴき》は静《しず》かに座《すわ》ったままながめていました。それで親子《おやこ》が分《わ》かったので、殿様《とのさま》はそれぞれに札《ふだ》をつけさせて、
「さあ、これで間違《まちが》いはないでしょう。」
といって、使《つか》いにつきつけますと、使《つか》いは、
「どうも驚《おどろ》きました。そのとおりです。」
といって、へいこうして逃《に》げていきました。
殿様《とのさま》はこれでまったく、お百姓《ひゃくしょう》の智恵《ちえ》に心《こころ》から驚《おどろ》いてしまいました。
「お前《まえ》は国中《くにじゅう》一ばんの智恵者《ちえしゃ》だ。さあ、何《なん》でも望《のぞ》みのものをやるぞ。」
とおっしゃいました。お百姓《ひゃくしょう》はこんどこそ、おかあさんの命《いのち》ごいをしなければならないと思《おも》って、
「わたくしはお金《かね》も品物《しなもの》もいりません。」
といいますと、殿様《とのさま》は妙《みょう》な顔《かお》をなさいました。お百姓《ひゃくしょう》はすかさず、
「その代《か》わりどうか母《はは》の命《いのち》をお助《たす》け下《くだ》さい。」
といって、これまでのことを残《のこ》らず申《もう》し上《あ》げました。殿様《とのさま》はいちいちびっくりして、目を丸《まる》くして聞《き》いておいでになりました。そして灰《はい》の縄《なわ》も、玉《たま》に糸《いと》を通《とお》すことも、それから二|匹《ひき》の牝馬《めうま》の親子《おやこ》を見分《みわ》けたことも、みんな年寄《としより》の智恵《ちえ》で出来《でき》たことが分《わ》かると、殿様《とのさま》は今更《いまさら》のように感心《かんしん》なさいました。
「なるほど年寄《としより》というものもばかにならないものだ。こんど度々《たびたび》の難題《なんだい》をのがれたのも、年寄《としより》のお陰《かげ》であった。母親《ははおや》をかくした百姓《ひゃくしょう》の罪《つみ》はむろん許《ゆる》してやるし、これからは年寄《としより》を島流《しまなが》しにすることをやめにしよう。」
こう殿様《とのさま》はおっしゃって、お百姓《ひゃくしょう》にたくさんの御褒美《ごほうび》を下《くだ》さいました。そして年寄《としより》を許《ゆる》すおふれをお出《だ》しになりました。国中《くにじゅう》の民《たみ》は生《い》き返《かえ》ったようによろこびました。
お隣《となり》の国《くに》の殿様《とのさま》もこんどこそ大丈夫《だいじょうぶ》と思《おも》って出《だ》した難題《なんだい》を、またしてもわけなく解《と》かれてしまったのでがっかりして、それなり信濃国《しなののくに》を攻《せ》めることをおやめになりました。
底本:「日本の諸国物語」講談社学術文庫、講談社
1983(昭和58)年4月10日第1刷発行
入力:鈴木厚司
校正:土屋隆
2006年9月21日作成
2009年9月15日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
楠山 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング