両足《りょうあし》をかけました。そして重《おも》い体《からだ》を器用《きよう》に調子《ちょうし》をとりながら、綱渡《つなわた》りの一|曲《きょく》を首尾《しゅび》よくやってのけましたから、見物《けんぶつ》はいよいよ感心《かんしん》して、小屋《こや》もわれるほどのかっさいをあびせかけました。
 それからは何《なに》をしても、文福《ぶんぶく》茶《ちゃ》がまが変《か》わった芸当《げいとう》をやって見《み》せるたんびに、見物《けんぶつ》は大喜《おおよろこ》びで、
「こんなおもしろい見世物《みせもの》は生《う》まれてはじめて見《み》た。」
 とてんでんに言《い》いあって、またぞろぞろ帰《かえ》っていきました。それからは文福《ぶんぶく》茶《ちゃ》がまの評判《ひょうばん》は、方々《ほうぼう》にひろがって、近所《きんじょ》の人はいうまでもなく、遠国《えんごく》からもわざわざわらじがけで見《み》に来《く》る人で毎日《まいにち》毎晩《まいばん》たいへんな大入《おおい》りでしたから、わずかの間《ま》にくず屋《や》は大金持《おおがねも》ちになりました。
 そのうちにくず屋《や》は、「こうやって文福《ぶんぶく》茶《ちゃ》がまのおかげでいつまでもお金《かね》もうけをしていても際限《さいげん》のないことだから、ここらで休《やす》ませてやりましょう。」と考《かんが》えました。そこである日|文福《ぶんぶく》茶《ちゃ》がまを呼《よ》んで、
「お前《まえ》をこれまで随分《ずいぶん》働《はたら》かせるだけ働《はたら》かして、おかげでわたしも大《たい》したお金持《かねも》ちになった。人間《にんげん》の欲《よく》には限《かぎ》りがないといいながら、そうそう欲《よく》ばるのは悪《わる》いことだから、今日《きょう》限《かぎ》りお前《まえ》を見世物《みせもの》に出《だ》すことはやめて、もとのとおり茂林寺《もりんじ》に納《おさ》めることにしよう。その代《か》わりこんどは和尚《おしょう》さんに頼《たの》んで、ただの茶《ちゃ》がまのようにいろりにかけて、火あぶりになんぞしないようにして、大切《たいせつ》にお寺《てら》の宝物《ほうもつ》にして、錦《にしき》の布団《ふとん》にのせて、しごく安楽《あんらく》な御隠居《ごいんきょ》の身分《みぶん》にして上《あ》げるがどうだね。」
 こう言《い》いますと、文福《ぶんぶく》茶《ちゃ》がまは、
「そうですね。わたしもくたびれましたから、ここらで少《すこ》し休《やす》ませてもらいましょうか。」
 と言《い》いました。
 そこでくず屋《や》は文福《ぶんぶく》茶《ちゃ》がまに、見世物《みせもの》でもうけたお金《かね》を半分《はんぶん》そえて、茂林寺《もりんじ》の和尚《おしょう》さんの所《ところ》へ持《も》って行きました。
 和尚《おしょう》さんは、
「ほい、ほい、それは奇特《きどく》な。」
 と言《い》いながら、茶《ちゃ》がまとお金《かね》を受《う》け取《と》りました。
 文福《ぶんぶく》茶《ちゃ》がまもそれなりくたびれて寝込《ねこ》んででもしまったのか、それからは別段《べつだん》手足《てあし》が生《は》えて踊《おど》り出《だ》すというようなこともなく、このお寺《てら》の宝物《ほうもつ》になって、今日《こんにち》まで伝《つた》わっているそうです。



底本:「日本の神話と十大昔話」講談社学術文庫、講談社
   1983(昭和58)年5月10日第1刷発行
   1992(平成4)年4月20日第14刷発行
入力:鈴木厚司
校正:大久保ゆう
2003年8月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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