もの、うつくしいものに心をうばわれました。けれども、いまは一人まえのむすめになって、いつどこへでも好きかってにいかれるとなると、もうそれも心をひかなくなりました。またうちがこいしくなって来て、やがて、ひと月もすると、やはり海の底ほどけしきのいい所はどこにもないし、うちほどけっこうな住居《すまい》はないわ、といいあうようになりました。
 もういく晩も、夕方になると、五人のおねえさまたちは、おたがい手を組んで、つながって、水の上へあがっていきました。みんな、どんな人間もおよばないうつくしい声をもっていました。あらしが来かけると、やがて船はしずむほかないことが分かっていますから、みんなして船のそばへおよいでいって、やさしい歌をうたってやりました。海の底がどんなにうつくしいか、だから船人たちはしずむことをそんなにこわがるにはおよばない、そううたってやるのです。でも、そのことばは、人間には分かりません。それをやはりあらしの音だとおもっていました。それにまた、しずんでいくひとたちが、しずみながら海の底をみるなんて、そんなうまいわけにはいかないのです。なぜなら、船がしずむと、それなり船人はおぼれてしまいます。そうして、しかばねになって、人魚の王さまの御殿へはこばれてくるのですもの。
 きょうだいたちが、こうして手をつないで、夕方、水の上へあがっていくとき、いちばん下のひいさまだけは、いつもひとりぼっちあとにのこっていました。そうしてみんなのあとをみおくっていると、なんだか泣かずにいられない気持になりました。けれども[#「けれども」は底本では「けれとも」]、海おとめには、涙というものがないのです。そのため、よけい、せつないおもいをしました。
「ああ、あたし、どうかしてはやく十五になりたいあ。」と、このひいさまはいいました。「あたしにはわかっている。あの上の世界でも、そこにうちをつくって住んでいる人間でも、あたしきっと好きになれるでしょう。」
 するうち、とうとう、ひいさまも十五になりました。
「さあ、いよいよ、あなたも、わたしの手をはなれるのだよ。」と、ごいんきょのおばあさまがおっしゃいました。「では、いらっしゃい、おねえさまたちとおなじように、あなたにもおつくりをしてあげるから。」
 こういって、おばあさまは、白ゆりの花かんむりを、ひいさまの髪にかけました。でも、その花びらという
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