《だ》し抜《ぬ》けに、
「お前《まえ》、何《なに》をしている。」
 と声《こえ》をかけました。娘《むすめ》はびっくりして、思《おも》わずふるえました。そして真《ま》っ赤《か》な顔《かお》をしながら、あわてて鏡《かがみ》をかくしました。おとうさんはふきげんな顔《かお》をして、
「何《なん》だ、かくしたものは。出《だ》してお見《み》せ。」
 といいました。娘《むすめ》は困《こま》ったような顔《かお》をして、こわごわ鏡《かがみ》を出《だ》しました。おとうさんはそれを見《み》て、
「何《なん》だ。これはいつか死《し》んだおかあさんにわたしの買《か》ってやった鏡《かがみ》じゃないか。どうしてこんなものをながめているのだ。」
 といいました。
 すると娘《むすめ》は、こうしておかあさんにお目にかかっているのだといいました。そしておかあさんは死《し》んでも、やはりこの鏡《かがみ》の中にいらしって、いつでも会《あ》いたい時《とき》には、これを見《み》れば会《あ》えるといって、この鏡《かがみ》をおかあさんが下《くだ》さったのだと話《はな》しました。おとうさんはいよいよふしぎに思《おも》って、
「どれ、お見《み》せ。」
 といいながら、娘《むすめ》のうしろからのぞきますと、そこには若《わか》い時《とき》のおかあさんそっくりの娘《むすめ》の顔《かお》がうつりました。
「ああ、それはお前《まえ》の姿《すがた》だよ。お前《まえ》は小《ちい》さい時《とき》からおかあさんによく似《に》ていたから、おかあさんはちっとでもお前《まえ》の心《こころ》を慰《なぐさ》めるために、そうおっしゃったのだ。お前《まえ》は自分《じぶん》の姿《すがた》をおかあさんだと思《おも》って、これまでながめてよろこんでいたのだよ。」
 こうおとうさんはいいながら、しおらしい娘《むすめ》の心《こころ》がかわいそうになりました。
 するとその時《とき》まで次《つぎ》の間《ま》で様子《ようす》を見《み》ていた、こんどのおかあさんが入《はい》って来《き》て、娘《むすめ》の手を固《かた》く握《にぎ》りしめながら、
「これですっかり分《わ》かりました。何《なん》というやさしい心《こころ》でしょう。それを疑《うたぐ》ったのはすまなかった。」
 といいながら、涙《なみだ》をこぼしました。娘《むすめ》はうつむきながら、小声《こごえ》で、
「おとうさんにも、おかあさんにも、よけいな御心配《ごしんぱい》をかけてすみませんでした。」
 といいました。



底本:「日本の諸国物語」講談社学術文庫、講談社
   1983(昭和58)年4月10日第1刷発行
入力:鈴木厚司
校正:佳代子
2004年2月19日作成
青空文庫作成ファイル:
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