が、こんど、ごびょうきにかかられて、もうながいことはあるまいという、うわさがたちました。あたらしい皇帝も、もうかわりにえらばれていました。じんみんたちは往来《おうらい》にあつまって、れいの侍従長に、皇帝さまは、どんなごようだいでございますかと、たずねました。するとこのひとは、いつものように「ペ」といって、あたまをふりました。
ひえこおった青いかおをして、皇帝は、うつくしくかざりたてた、大きなおねだいに、よこになっておいでになりました。宮中の役人たちは、もう皇帝は、おなくなりになったと、おもって、われがちに、あたらしい皇帝のところへ、おいわいのことばを、申しあげに出かけていきました。その下のめし使のおとこたちも、そここことかけまわって、そのことでしゃべりあいました。めし使の女たちもあつまって、さかんなお茶の会をやっていました。広間にも、廊下にも、のこらず、ぬのがしかれているので、なんの足音もきこえず、御殿の中はまったく、しんかんとしていました。
けれども陛下は、まだおかくれになったというわけではなく、やせほそり、色は青ざめながら、ながいびろうどのとばりをたれて、どっしりとおもい金のふさのさがった、きらびやかなしんだいの上にやすんでおいでになりました。高いところにあるまどが、あけてあって、そこからさしこむ月のひかりが、陛下とそのそばにおかれた、さいくもののさよなきどりを、てらしていました。
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おかわいそうに、皇帝は、まるでなにかが、むねの上にのってでもいるように、いきをすることもむずかしいようすでした。陛下が目をみひらいて、ごらんになると、おむねの上には、死神《しにがみ》が、皇帝の金のかんむりをかぶり、片手には皇帝のけんを、片手に皇帝のうつくしいはたをもって、すわっていました。そうして、りっぱなびろうどのとばりの、ひだのあいだには、ずらりと、みなれない、いくつものくびがならんで、のぞきこんでいました。ひどくみにくいかおつきをしているものもありましたが、いたっておとなしやかなものも、ありました。これらのくびは、みんな、この皇帝のこれまでなさった、よいおこないや、わるいおこないで、いま、死神がそのしんぞうの上にすわったというので、みんなきて、ながめているというわけでした。
「このことを、おぼえているか。」
「こんなことも、やったろう。」
と、かわるがわる、そのくびが、ささやきました。それから、つづいて、がやがやしゃべりたてるので、皇帝のひたいからは、ひやあせが、ながれました。
「わたしは、そんなことは、しらないぞ。」と、皇帝は、おっしゃいました。
「音楽をやってくれ、音楽を。たいこでも、がんがんたたいて、あのこえの、きこえないようにしてくれ。」と、陛下はおさけびになりました。けれども、くびはかまわず、なおもはなしつづけました。そうして死神は、くびのいったことには、どんなことでも、シナ人らしくうなずいてみせました。
「音楽をやってくれ、音楽を。小さいうつくしい金のことりよ。うたってくれ。まあうたってくれ。おまえには、こがねもやった。宝石《ほうせき》もあたえた。わたしのうわぐつすら、くびのまわりに、かけてやったではないか。さあ、うたってくれ。うたってくれ。」と、陛下はおさけびになりました。
ところが、そのことりは、じっとしていました。あいにく、たれも、ねじをまいてやるものがなかったので、このことりは、うたうことができなかったのでございます。
死神《しにがみ》はなおも大きな、うつろな目で、皇帝をじろじろみつめていました。そしてあたりは、まったくおそろしいほど、しいんとしていました。
そのとき、きゅうにまどのとこから、この上もないかわいらしいうたが、きこえてきました。それは、まどのそとの枝にとまった、あの小さな、ほんもののさよなきどりがうたったものでした。さよなきどりは、皇帝がご病気だときいて、なぐさめてあげるために、げんきをつけてあげるために、歌をうたいに、やってきたのでした。さよなきどりが、うたうにつれて、あやしいまぼろしは、だんだん影がうすれて行きました。血は皇帝のおからだの中を、とっとっとまわりだしました。死神さえ、耳をとめて、そのうたをきいて、こういいました。
「もっとうたってくれ、さよなきどりや。もっとうたってくれ。」
「はい。そのかわり、あなたは、そのこがねづくりのけんをくれますか。そのりっぱなはたをくれますか。皇帝のかんむりをくださいますか。」
そこで死神は、うたをひとつうたってもらうたんびに、かわりに、三つのたからを、ひとつずつやりました。
さよなきどりは、ずんずんうたいつづけました。そして、まっしろなばらの花が咲いて、にわとこの花がにおい、青あおした草が、いきのこっている人たちのなみだでしめっているはかばのことをうたいました。きいているうち、死神はふと、じぶんの庭がみたくなったものですから、まどのところから、白いつめたい霧《きり》になって、ふわりふわり出ていきました。
「ありがとう、ありがとう。」と、皇帝はおっしゃいました。「天国のことりよ、わたしはよくおまえをおぼえているぞ。わたしはおまえを、この国からおいだしてしまったが、それでもおまえは、わたしのねどこから、いやなつみのまぼろしを、歌でけしてくれた。わたしのしんぞうに、とりついた死神を、おいはらってくれた。そのほうびには、なにをあげたものであろうか。」
「そのごほうびなら、もういただいております。わたくしがはじめて、ごぜんでうたいましたとき、陛下には、なみだをおながしになりました。わたくしは、けっしてあれをわすれはいたしません。あのおなみだこそ、歌をうたうものの、こころをよろこばす、宝石でございます。なにはとにかく、おやすみあそばせ。そうして、またおげんきに、お丈夫《じょうぶ》におなりなさいまし。なにかひとつ、うたってさしあげましょう。」
そこで、さよなきどりは、うたいだしました。――それをききながら、皇帝は、こころもちよく、ぐっすりと、おやすみになりました。まあ、どんなにそのねむりは、やすらかに、こころのやすまる力をもつものでしたろう。
皇帝はまた、げんきがでて、すっかりご丈夫になって、目をおさましになったとき、お日さまは、まどのところから、さしこんでいました。おそばづきの人たちは、陛下がおかくれになったこととおもって、ひとりもまだ、かえってきていませんでした。ただ、さよなきどりだけは、やはりおそばにつきそって、歌をうたっていました。
「おまえは、いつもわたしのそばにいてくれなければいけない。」と、皇帝はおっしゃいました。「おまえのすきなときだけ、うたってくれればいいぞ。こんなさいくどりなどは、こなごなに、たたきこわしてしまおう。」
「そんなことを、なすってはいけません。」と、さよなきどりはいいました。「そのことりも、ずいぶんながらくおやくにたちました。いままでどおりに、おいておやりなさいまし。わたくしは、御殿の中に、巣をつくって、すむわけには、まいりませんが、わたくしがきたいとおもうとき、いつでもこさせていただきましょう。そうしますと、わたくしは晩になりまして、あのまどのわきの枝に、とまります。そして、陛下のおこころがたのしくもなり、また、おこころぶかくなりますように、歌をうたって、おきかせ申しましょう。そうです、わたくしは、幸福なひとたちのことをも、くろうしている人たちのことをも、うたいましょう。あなたのお身のまわりにかくれておりますわるいこと、よいこと、なにくれとなくうたいましょう。まずしい漁師のやどへも、お百姓《ひゃくしょう》のやねへも、陛下から、またこのお宮から、とおくはなれてすまっておりますひとたちの所へも、この小さな歌うたいどりは、とんで行くのでございます。わたくしは、陛下のおかんむりよりは、もっと陛下のお心がすきでございます。もっとも王冠は王冠で、またべつに、なにか神聖《しんせい》とでも申したいにおいが、いたさないでもございません。――ではまた、いずれまいって歌をうたってさしあげましょう。――ただここにひとつおやくそくしていただきたいことがございますが――。」
――「どんなことでも。」と、皇帝はおっしゃりながら、たちあがって、ごじぶんで皇帝のお服をめして、金のかざりでおもくなっている剱《けん》を、むねにおつけになりました。
「それでは、このひとつのことを、おやくそく、くださいまし。それは、陛下が、なにごとでも、はばかりなくおはなし申しあげることりをおもちになっていらっしゃることを、だれにもおもらしにならないということでございます。そういたしますと、なおさら、なにごともつごうよくまいることでしょう。」
こういって、さよなきどりは、とんでいきました。
おつきの人たちは、そのとき、おかくれになった陛下のおすがたを、おがむつもりで、はいってきましたが――おや、っと、そのまま棒《ぼう》だちに立ちすくみました。そのとき皇帝はおっしゃいました。
「みなのもの、おはよう。」
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底本:「新訳アンデルセン童話集 第二巻」同和春秋社
1955(昭和30)年7月15日初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※底本中、*で示された語句の訳註は、当該語句のあるページの下部に挿入されていますが、このファイルでは当該語句のある段落のあとに、5字下げで挿入しました。
入力:大久保ゆう
校正:鈴木厚司
2005年6月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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