小夜啼鳥
NATTERGALEN
ハンス・クリスティアン・アンデルセン Hans Christian Andersen
楠山正雄訳
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)御殿《ごてん》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|羽《わ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#挿絵(fig42381_01.png)入る]
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[#挿絵(fig42381_01.png)入る]
みなさん、よくごぞんじのように、シナでは、皇帝はシナ人で、またそのおそばづかえのひとたちも、シナ人です。
さて、このお話は、だいぶ昔のことなのですがそれだけに、たれもわすれてしまわないうち、きいておくねうちもあろうというものです。
ところで、そのシナの皇帝の御殿《ごてん》というのは、どこもかしこも、みごとな、せとものずくめでして、それこそ、世界一きらびやかなものでした。
なにしろ、とても大したお金をかけて、ぜいたくにできているかわり、こわれやすくて、うっかりさわると、あぶないので、よほどきをつけてそのそばをとおらなければなりません。御苑《ぎょえん》にはまた、およそめずらしい、かわり種の花ばかりさいていました。なかでもうつくしい花には、そばをとおるものが、いやでもそれにきのつくように、りりりといいね[#「ね」に傍点]になるぎんのすずがつけてありました。ほんとうに、皇帝の御苑は、なにからなにまでじょうずにくふうがこらしてあって、それに、はてしなくひろいので、おかかえの庭作《にわづくり》でも、いったいどこがさかいなのか、よくはわからないくらいでした。なんでもかまわずどこまでもあるいて行くと、りっぱな林にでました。そこはたかい木立《こだち》があって、そのむこうに、ふかいみずうみをたたえていました。林をではずれるとすぐ水で、そこまで木《き》のえだがのびているみぎわちかく、帆《ほ》をかけたまま、大きなふねをこぎよせることもできました。
さて、この林のなかに、うつくしいこえでうたう、一|羽《わ》のさよなきどりがすんでいましたが、そのなきごえがいかにもいいので、日びのいとなみにおわれているまずしい漁師《りょうし》ですらも、晩、網《あみ》をあげにでていって、ふと、このことりのうたが耳にはいると、ついたちどまって、ききほれてしまいました。
「どうもたまらない。なんていいこえなんだ。」と、漁師はいいましたが、やがてしごとにかかると、それなり、さよなきどりのこともわすれていました。でもつぎの晩《ばん》、さよなきどりのうたっているところへ、漁師がまた網にでてきました。そうして、またおなじことをいいました。
「どうもたまらない、なんていいこえなんだ。」
せかいじゅうのくにぐにから、旅行者《りょこうしゃ》が皇帝のみやこにやってきました。そうして、皇帝の御殿と御苑のりっぱなのにかんしんしましたが、やはり、このさよなきどりのうたをきくと、口をそろえて、
「どうもこれがいっとうだな。」といいました。で、旅行者たちは、国にかえりますと、まずことりのはなしをしました。学者たちは、その都と御殿と御苑のことをいろいろと本にかきました。でもさよなきどりのことはけっして忘れないどころか、この国いちばんはこれだときめてしまいました。それから、詩のつくれるひとたちは、深いみずうみのほとりの林にうたう、さよなきどりのことばかりを、この上ないうつくしい詩につくりました。
こういう本は、世界じゅうひろまって、やがてそのなかの二三冊は、皇帝のお手もとにとどきました。皇帝は金のいすにこしをかけて、なんべんもなんべんもおよみになって、いちいちわが意をえたりというように、うなずかれました。ごじぶんの都や御殿や御苑のことを、うつくしい筆でしるしているのをよむのは、なるほどたのしいことでした。
「さはいえど、なお、さよなきどりこそ、こよなきものなれ。」と、そのあとにしかし、ちゃんとかいてありました。
「はてな。」と、皇帝は首をおかしげになりました。「さよなきどりというか。そんな鳥のいることはとんとしらなかった。そんな鳥がこの帝国のうちに、しかも、この庭うちにすんでいるというのか。ついきいたこともなかったわい。それほどのものを、本でよんではじめてしるとは、いったいどうしたことだ。」
そこで皇帝は、さっそく侍従長《じじゅうちょう》をおめしになりました。この役人は、たいそう、かくしきばった男で、みぶんの下のものが、おそるおそるはなしかけたり、または、ものでもたずねても、ただ「ペ」とこたえるだけでした。ただしこの「ペ」というのに、べつだんのいみはないのです。
「この本でみると、ここにさよなきどりというふしぎな鳥がいることになっているが。」と、皇帝はおたずねになりました。「しかもそれがわが大帝国内《だいていこくない》で、これが第一等《だいいっとう》のものだとしている。それをどうして、いままでわたしにいわなかったのであるか。」
「わたくしもまだ、そのようなもののあることは、うけたまわったことがございません。」と、侍従長はいいました。「ついぞまだ、宮中《きゅうちゅう》へすいさんいたしたこともございません。」
「こんばん、さっそく、そのさよなきどりとやらをつれてまいって、わがめんぜんでうたわせてみせよ。」と、皇帝はおっしゃいました。「みすみす、じぶんがもっていて、世界じゅうそれをしっているのに、かんじんのわたしが、しらないではすまされまい。」
「ついぞはや、これまでききおよばないことでございます。」と、侍従長は申しました。「さっそくたずねてみまする。みつけてまいりまする。」
さて、そうはおこたえ申しあげたものの、どこへいって、それをみつけたものでしょう。侍従長は御殿じゅうの階段《かいだん》を上ったり下《お》りたり、廊下《ろうか》や広間《ひろま》のこらずかけぬけました。でもたれにあってきいても、さよなきどりのはなしなんか、きいたというものはありません。そこで侍従長は、また皇帝のごぜんにかけもどってきて、さよなきどりのことは、本をかきましたものの、かってなつくりばなしにちがいありませんと申しました。
「おそれながら陛下《へいか》、すべて書物《しょもつ》にかいてありますことを、そのままお用《もち》いになってはなりません。あれはこしらえごとでございます。いわば、妖術《ようじゅつ》魔法《まほう》のるいでございます。」
「いや、しかし、わたしがこの鳥のことをよんだ本というのは、」と、皇帝はおっしゃいました。「叡聖文武《えいせいぶんぶ》なる日本皇帝よりおくられたもので、それにうそいつわりの書いてあろうはずはないぞ。わたしはぜひとも、さよなきどりのこえをきく。どうあっても、こんばんつれてまいれ。かれはわたしの第一《だいいち》のきにいりであるぞ。それゆえ、そのとおり、とりはからわぬにおいては、この宮中につかえるたれかれのこらず、夕食ののち、横《よこ》ッ腹《ぱら》をふむことにいたすから、さようこころえよ。」
「チン ペ。」と、侍従長は申しました。それからまた、ありったけの階段を上ったり下りたり、廊下や広間をのこらずかけぬけました。御殿の役人たちも、たれでも横ッ腹をふみにじられたくはないので、そのはんぶんは、いっしょになって、かけまわりました。そこで、世界じゅうがしっていて、御殿にいるひとたちだけがしらない、ふしぎな、さよなきどりのそうさくが、はじまりました。
とうとうおしまいに、役人たちのつかまえたのは、お台所《だいどころ》の下ばたらきのしがないむすめでした。そのむすめは、こういいました、
「まあ、さよなきどりですって、わたしはよくしっておりますわ。ええ、なんていいこえでうたうでしょう。まいばん、わたくしは、びょうきでねている、かわいそうなかあさんのところへ、ごちそうのおあまりを、いただいてもっていくことにしておりますの。かあさんは、湖水《こすい》のふちに、すんでいましてね、そこからわたしがかえってくるとき、くたびれて、林のなかでやすんでいますと、さよなきどりの歌がきこえます。きいているうち、まるでかあさんに、ほおずりしてもらうようなきもちになりましてね、つい涙《なみだ》がでてくるのでございます[#「ございます」は底本では「ごさいます」]。」
「これこれ、女中。」と、侍従長はいいました。「おまえに、お台所でしっかりした役をつけてやって、おかみがお食事《しょくじ》をめしあがるところを、おがめるようにしてあげる。そのかわり、そのさよなきどりのいるところへ、あんないしてもらいたい。あの鳥は、さっそく、こんばん、ごぜんにめされるのでな。」
そこでみんな、そのむすめについて、さよなきどりがいつもうたうという、林のなかへはいって行きました。御殿のお役人が、はんぶんまで、いっしょについていきました。みんながぞろぞろ、ならんであるいて行きますと、いっぴきのめうしが、もうと、なきだしました。
「やあ。」と、わかい小姓《こしょう》がいいました。「これでわかったよ。ちいさないきものにしては、どうもめずらしくしっかりしたこえだ。あれなら、たしかもうせん、きいたことがあるぞ。」
「いいえ、あれはめうしが、うなっているのよ。」と、お台所の下ばたらきむすめがいいました。
「鳥のところまでは、まだなかなかですわ。」
こんどはかえるが、ぬまの中で、けろけろとなきはじめました。
「りっぱなこえだ。」と、皇室づきの説教師《せっきょうし》がいいました。「これ、どこかに、さよなきどりのこえをききつけましたぞ。まるでお寺のちいさなかねがなるようじゃ。」
「いいえ、あれはかえるでございますわ。」と、お台所むすめはいいました。「でも、ここまでくれは、もうじき鳥もきこえるでしょう。」
こういっているとき、ちょうどさよなきどりが、なきはじめました。
「ああ、あれです。」と、むすめはいいました。「ほら、あすこに、とまっているでしょう。」
こういって、このむすめは、むこうの枝《えだ》にとまっている、灰《はい》色したことりを、ゆびさしました。
「はてね。」と、侍従長はいいました。「あんなようすをしているとは、おもいもよらなかったよ。なんてつまらない鳥なんだ。われわれ高貴《こうき》のものが、おおぜいそばにきたのにおじて、羽根《はね》のいろもなくしてしまったにちがいない。」
「さよなきどりちゃん。」と、お台所むすめは、大きなこえで、いいました。「陛下《へいか》さまが、ぜひごぜんで、うたわせて、ききたいとおっしゃるのよ。」
「それはけっこうこの上なしです。」と、さよなきどりはいいました。そうして、さっそくうたいだしましたが、そのこえのよさといったらありません。
「まるで玻璃鐘《はりしょう》の音《ね》じゃな。」と、侍従長はいいました。「あのちいさなのどが、よくもうごくものだ。どうもいままであれをきいていなかったのがふしぎだ。あれなら宮中でも、上上《じょうじょう》のお首尾《しゅび》じゃろう。」
「陛下さまのごぜんですから、もういちどうたうことにいたしましょうか。」と、さよなきどりはいいましたが、それは、皇帝ごじしんそこの場にきておいでになることと、おもっていたからでした。
「いや、あっぱれなる小歌手《しょうかしゅ》、さよなきどりくん。」と、侍従長はいいました。「こんばん、宮中のえんかいに、君を招待《しょうたい》するのは、大いによろこばしいことです。君は、かならずそのうつくしいこえで、わが叡聖文武《えいせいぶんぶ》なる皇帝陛下を、うっとりとさせられることでござろう。」
「わたしのうたは、林の青葉の中できいていただくのに、かぎるのですがね。」と、さよなきどりはいいました。でも、ぜひにという陛下のおのぞみだときいて、いそいそついていきました。
御殿はうつくしく、かざりたてられました。せとものでできているかべも、ゆかも、何千《なんぜん》とない金のランプのひかりで、きらきらかがやいていました。れいの、りりり、りりりとなる
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