《ごよう》があるのでしょうか。偶然《ぐうぜん》ながら、こうして一晩《ひとばん》のお宿《やど》を願《ねが》ったお礼《れい》に、何《なに》かして上《あ》げることがあれば何《なん》でもしましょう。」
と玄翁《げんのう》はいいました。
すると女は涙《なみだ》をはらはらとこぼして、
「あなたは有《あ》り難《がた》いお坊様《ぼうさま》のようですから、くわしくわたしの話《はなし》を聞《き》いて頂《いただ》いて、その上にお願《ねが》いがあるのでございます。お聞《き》きになったこともあるでしょうが、じつはわたしは、むかしなにがしの院《いん》さまの御所《ごしょ》に召《め》し使《つか》われた玉藻前《たまものまえ》という者《もの》でございます。もとをいいますと天竺《てんじく》の野《の》に住《す》んだ九|尾《び》のきつねでした。きつねは千|年《ねん》たつと美《うつく》しい人間《にんげん》の女に化《ば》けるものです。わたしも千|年《ねん》の功《こう》を積《つ》むと、きれいな娘《むすめ》の姿《すがた》になりました。するとある日|天羅国《てんらこく》の班足王《はんそくおう》という王《おう》さまが狩《か》りの帰《かえ》りにわたしを見《み》つけて、御殿《ごてん》に連《つ》れ帰《かえ》ってお后《きさき》になさいました。わたしは長《なが》い間《あいだ》きつねでいた時分《じぶん》人間《にんげん》にいじめられとおしてきたことを思《おも》い出《だ》して、ふと悪《わる》い心《こころ》がおこりました。そこである時《とき》天羅国《てんらこく》にいろいろと天災《てんさい》がおこって人民《じんみん》が困《こま》っていると、わたしは班足王《はんそくおう》にすすめて、これはお墓《はか》の神《かみ》のたたりですから、これから毎日《まいにち》十|人《にん》ずつ人の首《くび》を切《き》って、百|日《にち》の間《あいだ》に千|人《にん》の首《くび》をお墓《はか》に供《そな》えてよくおまつりなさい。きっと災《わざわ》いをのがれることができますといいました。じつは天災《てんさい》というのもわたしが術《じゅつ》をつかってさせたのですが、王《おう》はこれを知《し》らないものですから、わたしのいうとおりに、毎日《まいにち》罪《つみ》のない人民《じんみん》を十|人《にん》ずつ殺《ころ》して、千|人《にん》の首《くび》をまつりました。すると人民《じんみん》が王《おう》をうらんで、ある時《とき》一揆《いっき》を起《お》こして王《おう》を攻《せ》め殺《ころ》しました。そしてわたしを見《み》つけて、生《い》け捕《ど》りにしようとさわぎました。わたしはとうに逃《に》げ出《だ》して、山の中にかくれました。そうして何《なん》百|年《ねん》かたちました。
二
そのうちわたしはまたシナの国《くに》に渡《わた》って、殷《いん》の紂王《ちゅうおう》というもののお妃《きさき》になりました。あの紂王《ちゅうおう》にすすめて、百姓《ひゃくしょう》から重《おも》いみつぎものを取《と》り立《た》てさせ、非道《ひどう》の奢《おご》りにふけったり、罪《つみ》もない民《たみ》をつかまえて、むごたらしいしおきを行《おこな》ったりした妲妃《だっき》というのは、わたしのことでした。紂王《ちゅうおう》がほろぼされると、わたしはまた山の中にかくれて、何《なん》百|年《ねん》か暮《く》らしました。
おしまいに日本《にっぽん》の国《くに》に来《き》て、院《いん》さまのお召《め》し使《つか》いの女になって、玉藻前《たまものまえ》と名《な》のりました。わたしをおそばへお近《ちか》づけになってから、院《いん》さまは始終《しじゅう》重《おも》いお病《やまい》におなやみになるようになりました。院《いん》さまのお命《いのち》をとって、日本《にっぽん》の国《くに》をほろぼそうとしたわたしのたくらみは、だんだん成就《じょうじゅ》しかけました。それを見破《みやぶ》ったのは陰陽師《おんみょうじ》の安倍《あべ》の泰成《やすなり》でした。わたしはとうとう泰成《やすなり》のために祈《いの》り伏《ふ》せられて、正体《しょうたい》を現《あらわ》してしまいました。そしてこの那須野《なすの》の原《はら》に逃《に》げ込《こ》んだのです。けれども日本《にっぽん》は弓矢《ゆみや》の国《くに》でした。天竺《てんじく》でも、シナでも、一|度《ど》山か野《の》にかくれればもうだれも追《お》いかけて来《く》る者《もの》はなかったのですが、こんどはそういきませんでした。間《ま》もなく院《いん》さまは三浦《みうら》の介《すけ》と千葉《ちば》の介《すけ》と二人《ふたり》の武士《ぶし》においいつけになって、何《なん》百|騎《き》の侍《さむらい》で那須野《なすの》の原《はら》を狩《か》り立《
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
楠山 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング