。」と、おうむがこたえました。「だが、ここのお内で、ぼくはもっといいくらしをしているのだ。ごちそうはあるし、だいじに扱われている。この上ののぞみはないのさ。まあ、人になることですよ。きみは詩人のたましいとかいうやつをもっている。ぼくはなんでも深い知識ととんちをもっている。きみは天才はあるが、思慮《しりょ》がないよ。持ってうまれた高調子で、とんきょうにやりだす、すぐ上からふろしきをかぶされてしまうのさ。そこはぼくになるとちがう。どうしてそんな安ッぽいのじゃない。この大きなくちばしだけでも、威厳《いげん》があるからな。しかもこのくちばしで、とんち[#「とんち」に傍点]をふりまいて人をうれしがらせる。まあ、人になることですよ。」
「ああ、わがなつかしき、花さく熱帯の故国よ。」とカナリヤがうたいました。「わたしはあのみどりしたたる木立と、鏡のような水に枝が影をうつしている静かな入江をほめたたえよう。『沙漠《さばく》の泉の木』が茂って、そこにうつくしくかがやくきょうだいの鳥たちのよろこびをほめたたえよう。」
「さあ、たのむから、もうそんななさけない声を出すのはよしておくれ。」と、おうむがいいました。
「なにかわらえるようなことをうたっておくれ。わらいはいとも高尚な心のしるしだ。犬や馬がわらえるかね。どうだ。どうして、あれらはなくだけです。わらいは人にだけ与えられたものだ。ほッほッほ。」
 こうおうむはわらってみせて、「まあ、人になることですよ。」とむすびました。
「もし、もし、そこに灰色しているデンマルクの小鳥さん。」と、カナリヤがひばりに声をかけました。「きみもやはり囚人《しゅうじん》になったんだな。なるほど、きみの国の森は寒いだろう。だが、そこにはまだ自由がある。とびだせ。とびだせ。きみのかごの戸はしめるのを忘れている。上の窓はあいているぞ。逃げろ、逃げろ。」
 カナリヤがこういうと、書記はついそれにのって、すうとかどをとびだしました。そのとたん、となりのへやの、半分あいた戸がぎいと鳴ると、みどり色した火のような目の飼いねこがしのんで来ました。そうして、いきなりひばりを追っかけようとしました、カナリヤはかごのなかをとびまわりました。おうむもつばさをばさばさやって「まあ、人になることですよ。」とさけびました。書記は、もう死ぬほどおどろいて、窓から屋根へ往来へとにげました。とうとうくたびれて、すこし休まなければならなくなりました。
 すると、むこうがわの家が、住み心地のよさそうなようすをしていました。窓がひとつあけてあったので、[#「、」は底本では「。」]そこからつういととび込むと、そこはじぶんのへやの書斎でした。ひばりはそこのつくえの上にとびおりました。
「まあ、人になることですよ。」と、ひばりはついおうむの口まねをしていいました。そのとたんに、書記にもどりました。ただつくえの上にのっかっていました。
「やれ、やれおどろいた。」と、書記はいいました。「どうしてこんな所にのっかっているのだろう。しかもひどく寝込んでしまって、なにしろおちつかない夢だった。しまいまで、くだらないことばかりで、じょうだんにもほどがある。」
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   六 うわおいぐつのさずけてくれたいちばんいい事

[#挿絵(fig42380_06.png)入る]
 明くる日、朝早く、書記君まだ寝床にはいっていますと、戸をこつこつやる音がきこえました。それはおなじ階でおとなり同士の若い神学生で、はいって来てこういいました。
「きみのうわおいぐつを貸してくれたまえ。」と、学生はいいました。「庭はひどくしめっているけれど、日はかんかん照っている。おりていって、一服やりたいとおもうのだよ。」
 学生にうわおいぐつをはいて、まもなく庭へおりました。庭にはすももの木となしの木がありました。これだけのちょっとした庭でも、都のなかではどうして大したねうちです。
 学生は庭の小みちをあちこちあるきまわりました。まだやっと六時で、往来には郵便馬車のラッパがきこえました。
「ああ、旅行。旅行。」と、学生はさけびました。「これこそ、この世のいちばん大きな幸福だ。これこそぼくの希望のいちばんたかい目標だ。旅に出てこそぼくのこの不安な気持が落ちつく、だが、ずっととおくではなければなるまい。うつくしいスウィスがみたい。イタリアへいきたい――」
 いや、うわおいぐつがさっそくしるしをみせてくれたことは有りがたいことでした。さもないと、じぶんにしても、他人のわたしたちにしても、始末のわるい遠方までとんでいってしまうところでした。さて、学生は旅行の途中です。スウィスのまんなかで、急行馬車に、ほかの八人の相客といっしょにつめこまれていました。頭痛がして、首がだるくて、足は血が下がってふくれた上をき
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