てまだかれが悲しそうにしているのか、わたしはわからなかった。とうとうわたしたちはパリの大門に着いたとき、かれはいまでもどんなにガロフォリをこわがっているか、もしあの男に会ったらまたつかまえられるにちがいないという話をした。
「きみはバルブレンをどんなにこわがっていたか。それを思ったら、どんなにぼくがガロフォリをこわがっているかわかるだろう。あの男が牢屋《ろうや》から出ていればきっとぼくをつかまえるにちがいない。ああ、この情《なさ》けない頭、かわいそうな頭、あの男はどんなにそれをひどくぶったことだろう。そうすればあの男はきっとぼくたちを引き分けてしまう。むろんあの人はきみをも子分にして使いたいであろうが、それをきみには無理《むり》にも強《し》いることができないが、ぽくに対してはそうする権利《けんり》があるのだ。あの人はぼくのおじだからね」
わたしはガロフォリのことはなにも考えていなかった。
わたしはマチアと相談《そうだん》をして、バルブレンのおっかあがそこへ行けば、バルブレンを見つけるかもしれないと言ったいろいろの場所へ行くことにした。それからわたしはリュー・ムッフタールへ行こう。それからノートル・ダーム寺の前でわたしたちは会うことにしよう。
わたしたちはもう二度と会うことがないようなさわぎをして別《わか》れた。わたしはこちらの方角へ、マチアは向こうの方角へ向かった。わたしはバルブレンが先《せん》に住んでいた場所の名をいろいろ紙に書きつけておいた。それを一つ、一つ、訪《たず》ねて行った。ある木賃宿《きちんやど》では、かれは四年前そこにいたが、それからはいなくなったと言った。その宿屋《やどや》の亭主《ていしゅ》は、あいつには一週間の宿料《しゅくりょう》の貸《か》しがあるから、あの悪党《あくとう》、どうかしてつかまえてやりたいと言っていた。
わたしはすっかり気落ちがしていた。もうわたしの訪《たず》ねる所は一か所しか残《のこ》っていなかった。それはあの料理屋《りょうりや》であった。そのうちをやっている男は、もう長いあいだあの男の顔を見ないといったが、ちょうど食卓《しょくたく》にすわって食べていたお客の一人が声をかけて、うん、あの男なら、近ごろオテル・デュ・カンタルにとまっていたと言ってくれた。
オテル・デュ・カンタルへ行くまえにわたしはガロフォリのうちへ行って、あの男の様子を見てマチアになにかおみやげを持って帰りたいと思った。そこの裏庭《うらにわ》へ行くと、初《はじ》めて行ったときと同様、あのじいさんがドアの外へきたないぼろをぶら下げているのを見た。
じいさんは返事はしないで、わたしの顔を見て、それからせきをし始めた。その様子で、わたしはガロフォリについてなんでも知っていることをよく向こうにわからせないうちは、この男からなにも聞き出すことができないことをさとった。
「おまえさん、あの人がまだ刑務所《けいむしょ》にはいっているというのではあるまい」とわたしはさけんだ。「だってあの人はもうよほどまえに出て来たはずではないか」
「ええ、あの人はまた三か月食らったのだよ」
ガロフォリがまた三か月刑務所にはいっている。マチアはほっと息をつくであろう。
わたしはできるだけ早く、このおそろしい路地《ろじ》をぬけ出して、オテル・デュ・カンタルへ急いで行った。わたしは希望《きぼう》と歓喜《かんき》が胸《むね》にいっぱいたたみこまれて、もうすっかりバルブレンのことをよく思いたい気になっていた。バルブレンという男がいなかったなら、わたしは赤んぼうのとき、寒さと飢《う》えのために死んでいたかもしれなかった。なるほどあの男はわたしをバルブレンのおっかあの手からはなして、よその人の手に売りわたしたにはちがいなかった。でもあのときはあの人もわたしに対してべつに愛情《あいじょう》もなかったし、たぶんお金のためにいやいやそれをしたのかしれなかった。とにかくわたしが両親を見つけるまでになったのは、あの人のおかげであった。だからもう、あの人に対してけっして悪意を持ってはならないはずであった。
わたしはまもなくオテル・デュ・カンタルに着いた、オテル(旅館)というのは名ばかりのひどい木賃宿《きちんやど》であった。
「バルブレンという人に会いたいのです。シャヴァノン村から来た人です」とわたしは写字机《しゃじづくえ》に向かっていたきたならしいばあさんに向かって言った。かの女は、ひどいつんぼで、いま言ったことをもう一度くり返してくれと言った。
「バルブレンという人を知っていますか」とわたしはどなった。
そうするとかの女は大あわてにあわてて両手を空へ上げた。その勢《いきお》いがえらかったので、ひざに乗っかっていたねこが、びっくりしてとび下りた。
「おやおや、おやお
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