で相手《あいて》の返事をするのをおたがいに待たないのであった。ガスパールおじさんはかれらの変《へん》な様子には気がつかないようであった。この人たちは気がちがったのではないかしら。それだとどうしよう。
 ふと、わたしは明かりをつけようと思った。油を倹約《けんやく》するため、わたしたちはぜひ入り用なときだけ明かりをつけることにしていたのである。
 明かりを見ると、はたしてかれらはやっと意識《いしき》をとりもどしたらしかった。わたしはかれらのために水を取りに行った。もういつかしら水はずんずん引いていた。
 しばらくしてかれらはまたみょうなふうに話をしだした。わたし自身も心持ちがなんだかぼんやりとりとめなく乱《みだ》れていた。いく時間も、あるいはいく日も、わたしたちはおたがいにとんきょうなふうでおしゃべりをし続《つづ》けていた。そののちしばらくするとわたしたちは落ち着いた。で、ベルグヌー[#「ベルグヌー」は底本では「ベリグヌー」]は、いよいよ死ぬなら、そのまえにわれわれは書置《かきお》きを残《のこ》して行こうと言った。
 わたしたちはまたランプをつけた。ベルグヌーがみんなのために代筆《だいひつ》した。そしててんでんがその紙に署名《しょめい》をした。わたしは犬とハープをマチアにやることにした。アルキシーにはリーズの所へ行って、わたしの代わりにかの女にキッスをしてチョッキのかくしにはいっている干《ひ》からびたばらの花を送ってもらいたいという希望《きぼう》を書いた。ああ、なつかしいリーズ……。
 しばらくしてわたしはまた土手をすべり下りた。すると水が著《いちじる》しく減《へ》っているのを見た。わたしは急いで仲間《なかま》の所へかけもどって、もうはしご段《だん》の所まで泳いで行けること、それから救助《きゅうじょ》に来た人たちにどの方角ににげていいか聞くことができると告《つ》げた。「先生」はわたしの行くことを止めた。けれどわたしは言い張《は》った。
「行っといで、ルミ。おれの時計をやるぞ」とガスパールおじさんがさけんだ。
 「先生」はしばらく考えて、わたしの手を取った。
「まあおまえの考えどおりやってごらん」とかれは言った。「おまえは勇気《ゆうき》がある。わたしはおまえができそうもないことをやりかけているとは思うが、そのできそうもないことが案外《あんがい》成功《せいこう》することは、これまでもないことではなかったのだから。ささ、おれたちにキッスをおし」
 わたしは「先生」とガスパールおじさんにキッスをした。それから着物をぬぎ捨《す》てて、水の中にとびこんだ。
 とびこむまえにわたしは言った。
「みんなでしじゅう声を立てていてください。その声で見当をつけるから」
 坑道《こうどう》の屋根の下の空き地が、自由にからだの働《はたら》けるだけ広かろうかとわたしはあやぶんでいた。これは疑問《ぎもん》であった。少し泳いでみて、そっと行けば行かれることがわかった。ほうぼうの坑道《こうどう》の出会う場所のそう遠くないことを、わたしは知っていた。けれどわたしは用心しなければならなかった。一度道をまちがえると、それなり迷《まよ》ってしまう危険《きけん》があった。坑道の屋根やかべは道しるべにはならなかった。地べたにはレールというもっと確《たし》かな道しるべがあった。これについて行けば、たしかにはしご段を見つけることができた。しじゅうわたしは足を下へやって、鉄のレールにさわりながら、またそっと上へうき上がった。後ろには仲間《なかま》の声が聞こえるし、足の下にはレールがあるので、わたしは道を迷わなかった。後ろの声がだんだん遠くなると、上のポンプの音が高くなった。わたしはぐんぐん進んで行った。ありがたい、もうまもなく日の光が見えるのだ。
 坑道《こうどう》のまん中をまっすぐに行きながら、わたしはレールにさわるために、右のほうへ曲がらなければならなかった。すこし行ってから、また水をくぐって、レールにさわりに行った。そこにはレールがなかった。坑道の右左と行ったが、やはりレールはなかった……。
 わたしは道をまちがえたのだ。
 仲間《なかま》の声はかすかなつぶやきのように聞こえていた。わたしは深い息を吸《す》いこんで、またとびこんだが、やはり成功《せいこう》しなかった。レールはなかった。
 わたしはちがった層《そう》にはいったのだ。知らないうちわたしは後もどりしたにちがいない。でもみんな呼《よ》ばなくなったのはどうしたのだろう。呼んでいるのかもしれないが、わたしには聞こえなかった。この冷《つめ》たい、まっ暗な水の中で、どちらへどう向いていいか、わたしは迷《まよ》った。
 するととつぜんまた声が聞こえた。わたしはやっとどちらの道を曲がっていいかわかった。後へ十二ほどぬき手を切って
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