うにしてかくしに入れた。
「この子の荷物は」と老人が言った。
「ここにあるさ」とバルブレンが言って、青いもめんのハンケチで四すみをしばった包《つつ》みをわたした。
中にはシャツが二|枚《まい》と、麻《あさ》のズボンが一着あるだけであった。
「それではやくそくがちがうじゃないか。着物があるという話だったが、これはぼろ[#「ぼろ」に傍点]ばかりだね」
「こいつはほかにはなにもないのだ」
「この子に聞けば、きっとそうではないと言うにちがいないが、そんなことを争《あらそ》っているひまがない。もう出かけなければならないからな。さあおいで、こぞうさん、おまえの名はなんと言うんだっけ」
「ルミ」
「そうか、よしよし、ルミ。包《つつ》みを持っておいで。先へおいで、カピ。さあ、行こう、進め」
わたしは哀訴《あいそ》するように両手を老人《ろうじん》に出した。それからバルブレンにも出した。けれども二人とも顔をそむけた。しかも、老人はわたしのうで首をつかまえようとした。
わたしは行かなければならない。
ああ、このうちにもお別《わか》れだ。いよいよそのしきいをまたいだとき、からだを半分そこへ残《のこ》して行くようにわたしは思った。
なみだをいっぱい目にうかべて[#「うかべて」は底本では「うがべて」]わたしは見回したが、手近にはだれもわたしに加勢《かせい》してくれる者がなかった。往来《おうらい》にもだれもいなかった。牧場《ぼくじょう》にもだれもいなかった。
わたしは呼《よ》び続《つづ》けた。
「おっかあ、おっかあ」
けれどだれもそれに答える者はなかった。わたしの声はすすり泣《な》きの中に消えてしまった。
わたしは老人《ろうじん》について行くほかはなかった。なにしろうで首をしっかりおさえられているのだから。
「さようなら、ごきげんよう」とバルブレンがさけんだ。
かれはうちの中へはいった。
ああ、これでおしまいである。
「さあ、行こう、ルミ、進め」と老人《ろうじん》が言って。わたしのひじをおさえた。
わたしたちはならんで歩いた。幸せとかれはそう早く歩かなかった。たぶんわたしの足に合わせて歩いてくれたのであろう。
わたしたちは坂を上がって行った。ふり返るとバルブレンのおっかあのうちがまだ見えたが、それはだんだんに小さく小さくなっていった。この道はたびたび歩いた道だから、もうしばらくはうちが見えて、それから最後《さいご》の四つ角を曲がるともう見えなくなることをわたしはよく知っていた。行く先は知らない国である。後ろをふり返ればきょうの日まで幸福な生活を送ったうちがあった。おそらく二度とそれを見ることはないであろう。
幸い坂道は長かったが、それもいつか頂上《ちょうじょう》に来た。
老人《ろうじん》はおさえた手をゆるめなかった。
「少し休ましてくださいな」とわたしは言った。
「うん、そうだなあ」とかれは答えた。
かれはやっとわたしをはなしてくれた。
けれどカピに目くばせをすると、犬もそれをさとった様子がわたしには見えた。
それですぐと、ひつじ飼《か》いの犬のように、一座《いちざ》の先頭からはなれてわたしのそばへ寄《よ》って来た。
わたしがにげ出しでもすれば、すぐにかみついてくるにちがいない。
わたしは草深い小山の上に登ってこしをかけると、犬も後ろについていた。
わたしはなみだにくもった目で、バルブレンのおっかあのうちを探《さが》した。
下には谷があって、所どころに森や牧場《ぼくじょう》があった。それからはるか下にいままでいたうちが見えた。黄色いささやかなけむりが、そこのけむり出しからまっすぐに空へ立ちのぼって、やがてわたしたちのほうへなびいて来た。
気の迷《まよ》いか、そのけむりはうちのかまどのそばでかぎ慣《な》れたかしの葉のにおいがするようであった。
それは遠方でもあり、下のほうになってはいたが、なにもかもはっきり見えた。ただなにかがたいへん小さく見えたのは言うまでもない。
ちりづかの植えにうちの太っためんどりがかけ回っていたが、いつものように大きくは見えなかった。うちのめんどりだということを知っていなかったら、小さなはとだと思ったかもしれない。うちの横には、わたしが馬にしていつも乗った曲がったなしの木が、小川のこちらには、わたしが水車をしかけようとして大さわぎをしてきずきかけたほりわりが見えた。まあ、その水車にはずいぶんひまをかけたが、とうとう回らなかった。わたしの畑も見えた。ああ、わたしのだいじな畑が。
わたしの花がさいてもだれが見るだろう。わたしの『きくいも』をだれが食べるだろう。きっとそれはバルブレンだ。あの悪党《あくとう》のバルブレンだ。
もう一|足《あし》往来《おうらい》へ出れば、わたしの畑もなにもか
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