わりばんこにこんなことばをつぶやいた。初《はじ》めに親方が、つぎにはわたしが。
あの犬たちは、楽しいにつけ苦しいにつけ、わたしたちの友だちであり、道連《みちづ》れであった。そしてわたしにとっては、わたしのさびしい身の上にとっては、このうえないなぐさめであった。
わたしがしっかり見張《みは》りをしなかったことは、どんなにくやしいことだったろう。おおかみはそうすれば小屋までせめては来なかったろうに。火の光におそれて遠方に小さくなっていたであろうに。
どうにかしていっそ親方がひどくわたしをしかってくれればよかった。かれがわたしを打ってくれればよかった。
けれどかれはなにも言わなかった。わたしの顔を見ることすらしなかった。かれは火の上に首をうなだれたまま、おそらく犬がなくなって、これからどうしようか考えているようであった。
ジョリクール氏《し》
夜明けまえの予告《よこく》はちがわなかった。
日がきらきらかがやきだした。その光線は白い雪の上に落ちて、まえの晩《ばん》あれほどさびしくどんよりしていた森が、きょうは目がくらむほどのまばゆさをもってかがやき始めた。
たびたび親方はかけ物の下に手をやって、ジョリクールにさわっていたが、このあわれな小ざるはいっこうに温まってこなかった。わたしがのぞきこんでみると、かれのがたがた身ぶるいをする音が聞こえた。
かれの血管《けっかん》の中の血がこおっていたのである。
「とにかく村へ行かなければならない。さもないとジョリクールは死ぬだろう。すぐたつことにしよう」
毛布《もうふ》はよく温まっていた。それで小ざるはその中にくるまれて、親方のチョッキの下のすぐ胸《むね》に当たる所へ入れられた。わたしたちの仕度ができた。
小屋を出て行こうとして、親方はそこらを見回しながら言った。
「この小屋にはずいぶん高い宿代《やどだい》をはらった」
こう言ったかれの声はふるえた。
かれは先に立って行った。わたしはその足あとに続《つづ》いた。わたしたちが二、三|間《げん》(四〜六メートル)行くと、カピを呼《よ》んでやらなければならなかった。かわいそうな犬。かれは小屋の外に立ったまま、いつまでも鼻を、仲間《なかま》がおおかみにとられて行った場所に向けていた。
大通りへ出て十分間ほど行くと、とちゅうで馬車に会った。その御者《ぎょしゃ》はもう一時間ぐらいで村に出られると言った。これで元気がついたが、歩くことは困難《こんなん》でもあり苦しかった。雪がわたしのこしまでついた。
たびたびわたしは親方にジョリクールのことをたずねた。そのたんびにかれは、小ざるはまだふるえていると言った。
やっとのことでわたしたちはきれいな村の白屋根を見た。わたしたちはいつも上等な宿屋《やどや》にとまったことはなかった。たいてい行っても追い出されそうもない、同勢《どうぜい》残《のこ》らずとめてくれそうな木賃宿《きちんやど》を選んだ。
ところが今度は親方がきれいな看板《かんばん》のかかっている宿屋へはいった。ドアが開いていたので、わたしはきらきら光る赤銅《あか》のなべがかかって、そこから湯気のうまそうに上っている大きなかまどを見ることができた。ああ、そのスープが空腹《くうふく》な旅人にどんなにうまそうににおったことであろう。
親方は例《れい》のもっとも『紳士《しんし》』らしい態度《たいど》を用いて、ぼうしを頭にのせたまま、首を後ろにあお向けて、宿屋《やどや》の亭主《ていしゅ》にいいねどこと暖《あたた》かい火を求《もと》めた。初《はじ》めは宿屋の亭主もわたしたちに目をくれようともしなかった。けれども親方のもっともらしい様子がみごとにかれを圧迫《あっぱく》した。かれは女中に言いつけて、わたしたちを一間《ひとま》へ通すようにした。
「早くねどこにおはいり」と親方は女中が火をたいている最中《さいちゅう》わたし言った。わたしはびっくりしてかれの顔を見た。なぜねどこにはいるのだろう。わたしはねどこなんかにはいるよりも、すわってなにか食べたほうがよかった。
「さあ早く」
でも親方がくり返した。
服従《ふくじゅう》するよりほかにしかたがなかった。寝台《ねだい》の上には鳥の毛のふとんがあった。親方がそれをわたしのあごまで深くかけた。
「少しでも温まるようにするのだ」とかれは言った。「おまえが温まれば温まるほどいいのだ」
わたしの考えでは、ジョリクールこそわたしなんぞよりは早く温まらなければならない。わたしのほうは、いまではもうそんなに寒くはなかった。
わたしがまだ毛のふとんにくるまってあったまろうと骨《ほね》を折《お》っているとき、親方はジョリクールを丸《まる》くして、まるで蒸《む》し焼《や》きにして食べるかと思うほど火の上
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