がわかった。わたしにはかれがそんなに悲しく思うわけがわからなかった。でもあとになって、それはある悲しい事情《じじょう》から初《はじ》めてわかった。いずれわたしの話の進んだとき、それを言うおりがあるであるう。
そのあくる日、かれは小さく木を切って文字を作ったと同様に音譜《おんぷ》をこしらえた。
音譜はABC《アベセ》より入りくんでいた。今度は習うのにもいっそう骨《ほね》も折《お》れたし、たいくつでもあった。あれほど犬に対してしんぼうのいい親方も、一度ならずわたしにはかんにんの緒《お》を切ったこともあった。かれはさけんだ。
「畜生《ちくしょう》に対しては、かわいそうな、口のきけないものだと思ってがまんするけれど、おまえではまったく気ちがいにさせられる」と、こうかれは言って、芝居《しばい》のように両手を空に上げて、急にまた下に下ろして、はげしくももを打った。
自分がおもしろいと思うと、まねをしてはおもしろがっているジョリクールは、今度も主人の身ぶりをまねていた。毎日わたしのけいこのときに、さるはいつもそばにいるので、わたしがつかえでもすると、そのたんびにがっかりした様子をして、かれが両うでを空に上げて、また下に下ろしては、ももを打つところを見ると、わたしはしょげずにはいられなかった。
「ご覧《らん》、ジョリクールまでが、おまえをばかにしている」と親方がさけんだ。
わたしが思い切った子なら、さるがばかにしているのは生徒《せいと》ばかりではなく、先生までもばかにしているのだと言ってやりたかった。けれども失礼《しつれい》だと思ったし、こわさもこわいのでえんりょして、心のうちでそう思うだけで満足《まんぞく》した。
とうとう何週間もけいこを続《つづ》けて、わたしは親方が書いた紙から、曲を読むことができるようになった。もう親方も、両手を空に上げなかった。それどころかかえって、歌うたんびにほめてくれて、この調子でたゆまずやってゆけば、きっとえらい歌うたいになれると言ってくれた。
むろんこれだけのけいこが一日でできあがるはずはなかった。何週間のあいだ何か月のあいだ、わたしのかくしはいつも小さな木ぎれで、いっぱいになっていた。
しかし、わたしの課業《かぎょう》は学校にはいっている子どものそれのように、規則《きそく》正しいものではなかった。親方が課業を授《さず》けてくれるのは、
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