の女はわたしの寝台のほうへかけてやって来た。
「ぼくを孤児院《こじいん》へやるの」
「いいえ、ルミぼう、そんなことはないよ」
かの女はわたしにキッスをして、しっかりとうでにだきしめた。そうするとわたしもうれしくなって、ほおの上のなみだがかわいた。
「じゃあおまえ、ねむってはいなかったのだね」とかの女は優《やさ》しくたずねた。
「ぼく、わざとしたんじゃないから」
「わたしは、おまえをしかっているのではない。じゃあ、あの人の言ったことを聞いたろうねえ」
「ええ、あなたはぼくのおっかあではないんだって……そしてあの人もぼくのとっつぁんではないんだって」
このあとのことばを、わたしは同じ調子では言わなかった。なぜというと、この婦人《ふじん》がわたしの母親でないことを知ったのは情《なさ》けなかったが、同時にあの男が父親でないことがわかったのは、なんだか得意《とくい》でうれしかった。このわたしの心の中の矛盾《むじゅん》はおのずと声に現《あらわ》れたが、おっかあはそれに気がつかないらしかった。
「まあわたしはおまえにほんとうのことを言わなければならないはずであったけれど、おまえがあまりわたしの子どもになりすぎたものだから、ついほんとうの母親でないとは言いだしにくかったのだよ。おまえ、ジェロームの言ったことをお聞きだったろう。あの人がおまえをある日パリのブルチュイー町の並木通《なみきどお》りで拾って来たのだよ。二月の朝早くのことで、あの人が仕事に出かけようとするとちゅうで、赤んぼうの泣《な》き声《ごえ》を聞いて、おまえをある庭の門口《かどぐち》で拾って来たのだ。あの人はだれか人を呼《よ》ぼうと思って見回しながら、声をかけると、一人の男が木のかげから出て来て、あわててにげ出したそうだよ。おまえ[#「おまえ」は底本では「おえ」]を捨《す》てた男が、だれか拾うか見届《みとど》けていたとみえる。おまえがそのとき、だれか拾ってくれる人が来たと感じたものか、あんまりひどく泣《な》くものだから、ジェロームもそのまま捨てても帰れなかった。それでどうしようかとあの人も困《こま》っていると、ほかの職人《しょくにん》たちも寄《よ》って来て、みんなはおまえを警察《けいさつ》へ届《とど》けることに相談《そうだん》を決めた。おまえはいつまでも泣きやまなかった。かわいそうに寒かったにちがいない。けれど、それ
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