ちらを見ても明かりは見えなかった。ただもうきみょうな物の形と、大きな樹木《じゅもく》が、いまにもわたしをつかもうとするようにうでを延《の》ばしているだけであった。
わたしは耳を立てて、犬の声か、雌牛《めうし》のうなり声でも聞こえはしないかと思ったが、ただもうしんと静《しず》まり返っていた。
どうかして聞き取ろうと思うから、耳をすませて、自分の立てる息の音さええんりょをして、わたしはしばらくじっと立っていた。
ふとわたしはぞくぞく身ぶるいがしだした。このさびしい、人気《ひとけ》のない荒野原《あらのはら》の静《しず》けさが、わたしをおびやかしたのであった。なんにわたしはおびえたのであったか、たぶんあまり静《しず》かなことが……夜が……とにかく言いようのない恐怖《きょうふ》がわたしの心にのしかかるようにしたのであった。わたしの心臓《しんぞう》は、まるでそこになにか危険《きけん》がせまったようにどきついた。
わたしはこわごわあたりを見回した。するとそのとき、遠方に大きな姿《すがた》をしたものが木の中で動いているのを見た。それといっしょにわたしは木のえだのがさがさいう音を聞いた。
わたしは無理《むり》に、それは自分の気の迷《まよ》いだと思いこもうとした。きっとそれは木のえだか灌木《かんぼく》のかげかなんぞだったのだ。
けれど、そのとき風は、木の葉を動かすほどの軽い風もふいてはいなかった。はげしい風でふかれるか、だれかがさわらないかぎり動くはずはなかったのである。
「だれかしら」
いや、この自分のほうを目ざしてやって来る大きな影法師《かげぼうし》が人間であるはずがなかった――わたしのまだ知らないなにかのけものか、またはおそろしい大きな夜鳥か、大きなばけぐもが木の上をとびこえて来るのだ。なんにしても確《たし》かなことは、この化け物はおそろしく長い足をしていて、ばかばかしく早く飛んで来るということであった。
それを見るとわたしはあわてて、あとをも見ずに、足に任《まか》せて小山をかけ下りて、ヴィタリスのいる所までにげようとした。
けれどきみょうなことに、登るときだけに早くわたしの足が進まなかった。わたしはいばらや、雑草《ざっそう》のやぶの中に転《ころ》がって、二足ごとにひっかかれた。
ちくちくするいばらの中からはい出して、わたしはふと後ろをふり向いてみた。怪物《か
前へ
次へ
全160ページ中60ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
楠山 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング