しになぶられるほかはなかった。
 わたしたちは七、八日のちボルドーを出発した。ガロンヌ川|沿岸《えんがん》の土地を回ったのち、ランゴンで川をはなれて、モン・ド・マルサンへ行く道をとった。その道はつま先下がりに下がっていった。もうぶどう畑もなければ、牧場《ぼくじょう》もない。果樹園《かじゅえん》もない、ただまつ[#「まつ」に傍点]と灌木《かんぼく》の林があるだけであった。やがて人家もだんだん少なくなり、だんだんみすぼらしくなった。とうとうわたしたちは大きな高原のまん中にいた。所どころ高低《こうてい》はあっても、日の届《とど》くかぎり野原であった。畑地《はたち》もなければ森もない、遠方から見るとただ一色のねずみ色の土地であった。道の両側《りょうがわ》がうす黒いこけや、しなびきった灌木《かんぼく》や、いじけたえにしだ[#「えにしだ」に傍点]でおおわれていた。
「わたしたちはランドの中に来たのだ」と親方が言った。「このさばくのまん中まで行くには二十里か二十五里(八十キロか百キロ)行かなければならない。しつかり足に元気をつけるのだぞ」
 元気をつけなければならないのは足だけではなかった。頭にも、胸《むね》にも、元気をつけなければならなかった。なぜといって、もう終わる時のないように広いさばくの道を歩いて行くとき、だれでもばんやりして、わけのわからない悲しみと、がっかりしたような心持ちに胸《むね》がふさがるのであった。
 そののちもわたしはたびたび海上の旅をしたが、いつも大洋のまん中で帆《ほ》かげ一つ見えないとき、わたしはやはりこの無人《むじん》の土地で感じたとおりの言いようもない悲しみを、また経験《けいけん》したことがあった。
 大洋の中にいると同様に、わたしたちの日は遠い秋霧《あきぎり》の中に消えている地平線まで届《とど》いていた。ひたすら広漠《こうばく》と単調《たんちょう》が広がっている灰色《はいいろ》の野のほかに、なにも目をさえぎるものがなかった。
 わたしたちは歩き続《つづ》けた。でも機械的《きかいてき》にときどきぐるりと見回すと、やはりいつまでも同じ場所に立ち止まったまま、少しも進んでいないように思われた。目に見える景色《けしき》はいつでも同じことであった。相変《あいか》わらずの灌木《かんぼく》、相変わらずのえにしだ[#「えにしだ」に傍点]、相変わらずのこけであった。
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