「つぶ」に傍点]、つぶ[#「つぶ」に傍点]とよばれている、たにしの子であったのです。
「つぶ[#「つぶ」に傍点]の子でもと申しあげたら、ほんとうに水神さまがたにしの子をくださった」
 夫婦《ふうふ》はこういって、でも、水神さまのお申《もう》し子《ご》だからというので、ちいさなたにしの子をおわんに入れて、水を入れて、そのなかでだいじにそだてました。
 五年たっても、十年たっても、つぶ[#「つぶ」に傍点]の子はやはりつぶ[#「つぶ」に傍点]の子で、いつまでもちいさくころころしていて、ちっとも大きくはなりませんでした。毎日、毎日、たべるだけたべてあとは一日ねてくらして、ああ[#「ああ」に傍点]とも、かあ[#「かあ」に傍点]とも、声ひとつ立てません。
 お百姓《ひゃくしょう》のおとうさんは、やはりいつまでも貧乏《びんぼう》で、あいかわらず長者《ちょうじゃ》の田をたがやして、年《ねん》じゅう休みなしに、かせいでいました。
「やれやれ、きょうも腰《こし》がいたいぞ」
と、ある日、おとうさんは背中《せなか》をたたきながら、地主《じぬし》の長者|屋敷《やしき》へ納める小作米《こさくまい》の俵《たわら》を、せっせとくら[#「くら」に傍点]につけていました。
 するうち、ふとあたまの上で、
「おとうさん、おとうさん、そのお米はわたいが持って行くよ」
と、いう声がしました。
 ふしぎにおもって、おとうさんがあおむいて見ると、軒《のき》さきの高いたなの上にのせられて、たにしの子が日向《ひなた》ぼっこしていました。
 たにしの子が口をきくはずがない、なにかの空耳《そらみみ》だろうとおもって、かまわずしごとをしていますと、また耳のはたで、
「おとうさん、おとうさん。わたいが持ってくってば」
とよぶ声がしました。口をきいたのは、やはりつぶ[#「つぶ」に傍点]の子だったのです。
「おとうさん、わたいはちいさいから馬をひいて行くことはできないけれど、米俵《こめだわら》の上にわたいをのせてくれれば地主《じぬし》さまのお屋敷《やしき》まで馬をつれてってきてあげるよ」
 たにしの子がずんずんそういって口をきくと、おとうさんも、おかあさんも、ほんとうにびっくりしてしまいました。でも、この子はなにしろ水神《すいじん》さまのお申《もう》し子《ご》だから、きっとかわったことができるのかもしれないとおもって、そうい
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