しかしその実、彼の眼はレンズに喰い入るように押つけられていたのである。
 そのレンズの向う、船のデッキに立っている白髪の老人は、もう十五六年も昔になるが大震災の時以来、まったく消息を断ってしまっていた叔父の細川三之助に違いなかった。その当時、まだ中学生になったばかりの中野の記憶に比べれば、相当|老《ふ》けてはいるが、たしかに見当違いではないと断言出来た。
 震災の日を命日としてすでに位牌になっているその叔父が、つい其処《そこ》に健在とは――。しかもこんなところに悠々と船に乗っているとは――。それなのに、なぜ家にハガキ一本の通知も寄越さなかったのであろう――。
 だいたいこの叔父、細川三之助は風変りな科学者で、研究室に閉籠《とじこも》っていて世間とはまったく往来《ゆきき》をしなかったばかりか、博士号をどうしても固辞して受けなかった、ということは聞いていたが、それにしても、倒壊した研究室から忽然と姿を消したまま、今日まで一片の通知状さえくれないでいた、というのは奇矯すぎるし、その上この夏の海浜に、美少女と携えてスマートな船を乗り廻しているなどということは、凡そ想像を絶する出来事だ。
 中野が、唖然とするのも無理ではなかった。
 唖然とした中野は、望遠鏡から眼を離すと、二三度眼をぱちぱちさせてその船の方を眺めていたが、そのまま圭さんにもことわらずに、その小高い葦簾張りの監視所を飛出すと砂浜を逸散《いっさん》に駈出していた。もっと傍に行って、たしかめたかったからである。
 凸凹だらけの岩を越えると、その船がいきなり眼の前に浮んでいた。おかしなことには船名らしいものは何処にも書かれてなかった。が、しかしそんなことはどうでもよかった。デッキの人は――。
 矢ッ張り、間違いもない叔父の細川三之助であった。
「叔父さん――」
「…………」
 ギョッとしたように顔を挙げた叔父の顔には、一瞬ポッと喜悦の赤味が流れた。しかしそれっきり一こともいわず、強《し》いてするように顔を伏せてしまった。
「叔父さん、中野です。中野五郎ですよ」
 だが、細川三之助は相変らず無言で、そればかりか今度はくるりと向うを向いてしまった。けれど、その老けを見せた白い鬢《びん》の顫えは、何か激しい心の動揺を物語っていたようである。
 傍らの美しい女《ひと》も、何か言おうとして二人の顔を見くらべたまま、胸のあた
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