した。
『しばらく、待った……きのうは、行き違いになってしまって――』
 私は、黒住が来たら、いまの今まで、約束の時間を無視したことを、詰ってやろう、と心構えにしていたのだが、一目彼の様子を見ると、その余りに憔悴《しょうすい》した容貌に押されて、口を噤《つぐ》んでしまった。
 その高く突出した頬骨の下に、洞穴《ほらあな》のように落ち窪んだ頬、いつの間にか老人のように蒼白くたるんでしまった皮膚、どんよりと灰色に濁った瞳、それらと奇怪な対照をなす真赤な薄い脣――これらは一体、何を語るのであろうか……。
『どうしたんだい君、病気なのか――』
『いいや』
 黒住はだるそうに、口を動かし始めた。
『手紙の返事も出さないで、悪いとは思ってたんだが、何しろ、今、一寸重大な実験をしてるんでね――』
『重大な要件、っていうのは』
『それなんだ、実は、僕はもう長いことないかも知れないんで、君に、色々頼みたいこともあるんで……』
『バカな――』
 私はそれとなく、さっきから黒住の薄い影を気にしていたので、思わず大きな声でその不安をはね飛ばそうとした、だが黒住は案外落着いて
『いや、ほんとうだよ。でも僕は命なんか惜くないと思ってるんだ――といきなりいったって、君には解ってくれまいけど』
『どんなわけなんだ一体、はじめからいってくれ給え……』
『うん……』
 黒住は軽く咳き込むと、すぐ続けた。
『実は、いま人間は眠らないでも、いいという実験をしてるんだ……』
(この男、気が狂ったのではないか――)
 私は、しげしげと彼の顔を見直した。
『そういったって、君は信じてくれないだろうけど、これは実際なんだ、現に実験中なんだ』
『君。バカなことをいっちゃいけないぜ、しっかりしてくれよ、一晩徹夜したって疲れてしまうのに、眠らないでいられるもんか――』
(バカバカしい) 私は吐出すようにいった。
『いや』 黒住は、平然と続けた、
『君、そんなことをいうのは認識不足だよ、一寸例をとれば――ほら君自身だって経験があるだろう、四月までは八時半始業だった学校が四月からは八時になる、三十分早くなれば三十分早く起きればいい、それは二三日つらいけど、すぐ馴れちまう、それだよ、この習慣というやつを利用するんだ、これなら出来るだろう――』
(それはそうさ、三十分位――)
『それを考えたら出来る筈じゃないか、あした[#「あ
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