去年私がまだ来る前に飛込自殺をしたということで、これは私も以前から聞き知っていたことです。又余談になりましたが、――ガソリンカーがびゅうびゅう駛《はし》って行きます。線路の両側に鬱蒼《うっそう》と続いていた森が、突然ぱったりと途絶《とだ》えると定規で引いたような直線レールが※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1−92−55]《はる》か多摩川の方に白々《しらじら》と濡れて続いています。急に森を抜出たせいか吹曝《ふきざら》しの車の上にいると霧雨が肌にまで沁透《しみとお》って来てゾクゾクした寒さに襲われて来ました。と、さっきの工夫がいうのです。
『いけねえよ、おい、今日は十七日じゃねえか、え、倉さんのおッかあがポンコツ食った日だぜ……』
誰も返事をしませんでした。ところが吉村君が私の耳元で
『ポンコツ食ったっていうのはこの辺なんだぜ』
そう囁《ささや》いたかと思うと、急にガソリンカーがぐーっとスピードを落して、止ってしまったのです。思わず伸上って見ると二三間先の線路のわきに黒っぽい着物を着た男が、ごろんと転がっていました。皆んなが無言でぞろぞろ行って見ますと、まるでレールの上に寝ていたのじゃないかと思われるほど見事に太腿と首とが轢き切られているのです。
『首がねえな――』そういって一人が小腰《こごし》を跼《かが》めて見ていましたが、
『あ、あんなとこに立ってやがる』
そういった方を見ると成程《なるほど》首だけがまるで置物のように道床《どうしょう》の砂利の上にちょこんと立っているのです。
『ちぇッ』
と舌打ちした工夫がその首を拾いに行きましたが、いきなり
『ギェッ』
というような声をもらすと、泳ぐような恰好をして馳戻《かけもど》って来て
『クク倉さんだ……』
がたがた顫《ふる》える手でその首を指さすのです。
『えっ、倉さん?』
皆んなは思わず襟《えり》くびに流込んだ霧雨の雫《しずく》をヒヤリと感じて顔を見合せました。丁度いまもその話が出たばかりですし倔強《くっきょう》な工夫たちもさっと顔が蒼白《あおじ》らんでしまいました。しばらくしてからやっと皆んなでかたまってその首を拾いに行ったんですが、なるほどその首は倉さんでした。而《しか》もポンコツの苦しみというよりも其の首だけ仮面《マスク》のような顔には何を見たのかゾッとするような恐怖の色が刻込《きざみこ》まれているのでした。とその時私はいやあなものを見てしまったのです。その首のそばに四五尺もあるような青大将がずたずたに轢き切られているのです。ギクリとした途端に自分でも頭から血がスーッと引いて行ったのを憶《おぼ》えています。吉村君や他の工夫たちもすぐそれに気づいたのでしょう。わざと眼《め》を外《そ》らしているらしいのです――。一人の工夫がかさかさな唇をぱくぱくさせていましたが
『おッ、おッかあ、怨《うら》むなよ』
と口走りました。急所をつかれたようにハッとして見合せた皆んなの顔は、どれもこれも紙のように白けてそこに転がっている倉さんの生首ソックリでした。
――私たちが詰所に帰ってやっと一と息入れていますと、ゆうべの終電車とけさの一番との運転手の話が伝わって来ました。それによるとけさの一番の運転手は自分が通った時はもうその死骸があった。たしかに死骸になっていた。それは二三間手前でわざわざ車を止めてレールから傍《かたわ》らにひっぱって下《おろ》したのだから間違いないというし、車掌もそれを証言するそうです。
ところが終電車の運転手はたしかにそんなポンコツはなかったというのです。第一あそこは丁度森の切れた両側は一面の展《ひら》けた田圃《たんぼ》ですし、線路にそんな男がいたらきっと見つける筈だし、あんな頑丈な男だったら車のショックでもわかる筈だというばかりか、その終電車の車掌がこんなことをいい出しました。というのは最後部の乗務員室で背をもたれながらぼんやり飛去って行く窓の外を見ていますと丁度あのあたりで窓から洩れる車内燈《ルームライト》の光りの中に、フッと人影を見たというのです。それは立って歩いている人影で、而《しか》も、レールをはさんで右側を黒っぽい着物を着た男が、そして左側を、瘠形《やせがた》の女らしい人影があった――。その車掌もおやっと思っても一度たしかめようとしたのですが、何分《なにぶん》ヘッドライトもないし次の瞬間には車内燈《ルームライト》の光りの外に闇に消えてしまっていたというのですが、これを聞いた時、私たちさっきの青大将を見た連中は唇の色を失っていました。それにしても自殺などする筈もない倉さんが非番のしかも真夜中になぜあんな線路を歩いていたのか、一直線の見通しのきくところでなぜポンコツを食ったのか、そして田圃の真ン中のレールの上にどこから青大将が来て、轢かれたのか、
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