を歪めたまま通り抜けた。そして隣りの自分の部屋のドアーを、突飛ばすようにして潜《くぐ》り、デスクの前の廻転椅子にドサリと腰をおろした。デスクに肘をのせ、頭を抱《かか》えるようにして眼をつぶると、外庭の植込みの方で何やら話しあっている所員たちの弾んだ話声が途切れ途切れに聞えていた。
「あの、どうかなさったんですか、木曾さん……」
「エ?」
 誰もいないと思っていた木曾は、その突然の声に、ぎょっとして振り向いた。
「ご気分でも……」
 そういって、心持ちくびをかしげ、細い眉をしかめて立っていたのは、思いがけなかった助手の石井みち子だった。
「なんだ、石井さんがここにいたのか……、今の、所長の話を聞いたかね」
「えっ」
「あ、そうそう、石井さんも行く方《ほう》だったね」
「はあ――、でも私なんかに勤まりますかしら」
「大丈夫だよ、あんた[#「あんた」に傍点]ならきっとしっかりやってくれる……、あんた[#「あんた」に傍点]に行かれるのは残念だけれど、しかしまあそんなことはいってられないからね」
「……でも、木曾さんはいらっしゃいませんのね、どうしたんでしょう」
「いやあ僕なんか……、留守軍だよ、僕の分もしっかりやって来て下さい、いや、やって来て下さいじゃない、やって下さい、だ。一寸出張のようなつもりでは困る、業績のためには骨を埋めるつもりで行って貰いたいっていってたからね、所長が―、はっは」
 木曾ははじめて、しかし空《うつ》ろな声で笑って見せた。

       二

「でも、ボルネオとはまさか私――。どうしてボルネオなんかにこの研究所のほとんど半分も移してしまうんでしょうかしら」
 石井みち子は、実験室用の白衣を着ると、すんなりと伸びた脚《あし》を揃えたまま、椅子に腰をおろしていた。女学校を卒《で》て、まだ二年ほどしか経《た》っていないみち子は、磁気学研究所木曾実験室助手などという肩書が、どうも似合わしからぬほど、襟筋のあたりに幼ない色が残っていた。それもその筈で、みち子の兄の僚一が本当の助手だったのだけれど、二年前に軍務についてから、始終行き来していた木曾のすすめで丁度学校を卒《で》たばかりのみち子が、この実験室のこまごまとした用事の手助けに来ている中に、いつしかすっかり一通りの実験の仕方も覚えてしまって、今では結構助手さんで通っているのだった。
「ふーん、ボルネオ行
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