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 その夜の未明に、星あかりの草道を一散に行く二人があった。
 大村と英二だった。始発の上り列車をとらえるために、夢中で歩いているのだ。――大村は、誠子の顔を思い出した。誠子が二人を必死にゆり起してくれたのだ。
「早く、早く逃げて下さい、どんな立派な実験だってあなた方にもしものことがあったら大変です、逃げて下さい、兄のお茶にも同じ眠り薬を入れて置きましたから、もうしばらくは大丈夫と思いますけど」
 大村は、ふらふらと立ち上った。しかし、眼の前のテーブルに、どんよりとした液体を容れた瓶や、注射器などが置かれてあるのに気がつくと、さっきの不気味な言葉と思い合せ、睡気《ねむけ》など、水を浴びたように抜け落ちて行った。
「ありがとう、しかしぼく達を逃がしたらあなたが困りませんか」
「いいえ、私なんか……」
「でも、もしかあなたが、あの危険な実験の犠牲になるようなことは――」
「いいんですの、まさか兄妹ですし……」
 そう、顔をそむけていった、星明りの中に夕顔のように白かった誠子の顔が忘れられなかった。
 大村は、歩きながらも、幾度か振りかえった。しかし結局無駄であった。誠子は矢ッ張り追《つ》いて来ようとはしなかったのだ。
 ――その後『火星の果実』は、どうしたことかまだ一向に市場には出ないようである。或いは志賀健吉が、自分自身の体に、奇怪な実験を加えているのではなかろうか。そして、もしかすると彼は、あの美しい妹とともに想像も出来ぬ『火星人』と化してしまったのではなかろうか。
[#地付き](「ユーモアクラブ」昭和十六年五月号)



底本:「火星の魔術師」国書刊行会
   1993(平成5)年7月20日初版第1刷発行
底本の親本:「百万の目撃者」越後屋書房
   1942(昭和17)年発行
初出:「ユーモアクラブ」
   1941(昭和16)年5月
入力:門田裕志
校正:川山隆
2006年12月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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