のしきたり[#「しきたり」に傍点]であるかのように、その日課は確実に繰返されていた。
私はベッドに半身を起して、窓越しに花壇一杯に咲乱れた、物凄く色鮮やかなダリヤの赤黒い葩《はなびら》を見ながら、体温計を習慣的に脇の下に挟んだ。ヒンヤリとした水銀柱の感触と一緒に、何ヶ月か前の入院の日を思い出した。
それは、まだ入院したばかりで、何も様子のわからなかった私が、所在なくベッドに寝ていると見習看護婦の雪ちゃんが廻って来て、いきなり脇の下に体温計を突込み、あっと驚いた瞬間、脇毛が二三本からんで抜けて来た時の痛かったこと……雪ちゃんの複雑な呻きに似た声と、パッと赤らんだ顔……
(ふっ、ふっ、ふっ……)
なんだか、溜らなく可笑《おか》しくなって来て、思わず体がゆれると、体温計の先が脇窩《わきあな》の中を、あっちこっちつつき廻った。
「ご気嫌ね……オハヨウ――」
「え……」
はっとベッドの上から入口を見ると、同じ病棟のマダム丘子が、歯刷子《はブラシ》を持って笑っていた。
「や、オハヨウ……」
「いい朝ね、ご覧なさいよ、百合が咲いてるわ」
「そう」
私は体温計を抜くと寝衣《ねまき》の前を掻きあわせながら、水銀柱を透かして見た。
(六度、とちょっと……)
呟いた。
(気分がいいぞ――)
足の先でスリッパを捜《さぐ》ってつっかけ[#「つっかけ」に傍点]た。
「どれ――」
「ほら、あんな高いとこよ」
マダム丘子の透通るような白い腕が、あらわに伸べられて、指の先きに歯刷子がゆれた。
私は、丘子の透き出た静脈の走る二の腕から、強《し》いて眼をはなして崖を見上げた。
「ほお、なるほど……」
「あの花粉――っていうの魅惑的ね、そう思わない……露に濡れた花粉だの蕊《しべ》だのって、じーっと見てると、こう、なんだか身ぶるいしたくなるわ……ね」
「そお……」
私は爛熟し切って、却って胸の中がじくじくと腐りはじめたのであろう丘子の、裸心にふれたような気がした。
マダム丘子はハデなタオルの寝衣を着ていた。それはパジャマではなかったが、断髪の丘子に却って不思議な調和を見せていた。
「お先きに――」
マダム丘子は光った廊下をスリッパで叩きながら洗面所に消えた。
私はその寝癖のついた断髪の後姿からヘンなものを感じて、部屋に這入《はい》ると邪慳《じゃけん》に薬台の抽斗《ひきだし》を開け、
前へ
次へ
全15ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
蘭 郁二郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング