ばならぬ筈だ。青年の志気頽廃の原因は必ずや外にある。其本当の源を正さゞるが故に、此等の文学が特に青年を累するのであらう。若し源をさへ正せば思想の上に多少危険なものでも尚又文学として之を鑑賞するに何んの妨を見ないのである。然るに肝腎の源を抛擲して罪を文学に帰するが故に、文学の士などは却つて余計に反抗して益々非国家的態度に出づるの現象を呈する。又も一つ押し詰めて云へば、今日の青年は成程先輩の眼から見れば犠牲的奉公の念が薄らいで居るかも知れない。少くとも彼等と同じやうな意味、同じやうな形式に於て忠君愛国を唱へないかも知れない。然しながら真に国家社会の文通の進歩の為めに尽して居る努力其物の総量は、果して先輩諸公の青年たりし時に比して遜色あるか何うか。先輩諸公の青年たりし時が独り志気旺盛にして、今日の青年が全然言ふに足らざる頽廃の淵に沈んで居るものであるなら、日本が今の如き地位を維持して居らるゝ筈がない。我々は固より現状に満足するものではない。西洋諸国の進歩発展の莫大なるに比較し、我国の前途は尚容易に楽観すべからざるものあるを思ふけれども、又明治年間の発達の跡を見て、少くとも抽象的に現代の青年に失望悲観しない。時代の変に応じて各種の改良施設を社会背景に加へ、其上に現代の青年を活動せしむるならば、必ずや先輩諸公の憂ふるところは大いに減ずるだらうと思ふ。現代の青年を鞭韃警告するは固より必要である。けれどもそれよりも必要なるは現代青年の活動を妨ぐる総ての社会的原因を除くことである。而して之れ実に先輩諸公の責任である。而して先輩は常に青年を責むるに酷にして、自家の保守的思想の満足の為めに社会的改革の断行を欲しない。少くとも之れを第二次に置くが故に、折角の親切な先輩の忠告にも、青年は動もすれば反感を感ずる。例へば学制問題に見よ。猫も杓子も帝国大学の門に集つて高等遊民が出て困ると言ふ。然しながら社会の制度並びに慣行は帝大出身者に多大の特権を与へ、私学を圧迫して殆んど之れに帝大と同等の機会を与へず、帝大出身者にあらざれば青年の志を満足する地位にありつけないやうにして居るではないか。更に之を軍制に見よ。兵隊の義務は国民として苟も光栄ある義務なりと称へながら、上流社会は公然兵役を免れ(上流社会が兵役を免れ得るやうに制度が出来て居る)偶々止むを得ずして兵役につけらるれば為めに著しく学業が妨げられ、甚しければ職ある者も之を失ふといふことになつて居る。此等は先輩が二三決心をすれば一挙にして除去し得る事柄である。之を除去し各般の社会的制度慣行が、青年の活動を少くとも之に伴ふやうにすれば、初めて以て青年に犠牲奉公を説くことが出来るのである。今日の青年は今や正に時代の変と社会の欠陥を意識し、之を先輩に訴へ、或は自ら之が為めに努力し以て青年全体の活動を滑かならしめんと志しつゝある。斯くせざれば国家の前途亦甚だ危いと憂ひて居る。徒らに青年の志気の頽廃を説くの説に対しては、時代を解せざる老翁の繰言の如く、其誠意を諒として密かに其老を笑ふといふやうな風になつて居る。現代の青年は蘇峰先生の警告に接し或は此風の説明に多少の不足を感ずるのではあるまいか。
底本:「日本の名随筆 別巻96・大正」作品社
1999(平成11)年2月25日発行
底本の親本:「吉野作造選集3」岩波書店
1995(平成7)年7月
入力:加藤恭子
校正:染川隆俊
2001年2月28日公開
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