のれるを人に生れて木に如かずけり

いつまでの老が命ぞ世の憂きもこの身を土になすまでぞかし

人並に生くる甲斐なし若狭路の後瀬《のちせ》の山の後の世ぞ待つ

愚かなる心に身をば守《も》られきて怨言《かごと》ばかりに世を終るかな

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花の歌の中に。
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春くれば花こそ先づはしたはるれ思ひ捨てても世の中ぞかし

うちはらふ莚の塵もかをるかな咲き埋みたる花の下庵

人の世に心とどめて花見ればさかりの間こそすくなかりけれ

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明治二十九年の冬、洛東歌の中山清閑寺に移り住みて、次の年の春に詠める。
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天地はものこそ言はね鶯を啼かせて山に春ぞ告げける

鶯は稀に来啼けど竹ばしらかたぶく庵に雪はふりつつ

山寺の茅葺ごしに雪折の梅も咲きけり春や来ぬらん

山深み月日も知らず雪ふかみ春と知らねど鶯啼くも

わが老と積りし山の雪のみは年は立てども消えずもあるかな

花を待つ下ごころには春雨のそそぐしもこそうれしかりけれ

わが山の谷間の花の薄明《うすあか》り雨夜《あまよ》の月にむささびの啼く

春雨に花のとぼその霧曇り都のかたも見えぬ窓かな

こころよき春のうたたね降る雨を夢とうつつの中空に聴く

春日かげ長閑に霞む山寺に苔路きよめて花を見るかな

老の身は後たのまれず花のみは春は往ぬともとはに咲かぬか

花の枝の下《した》なる窓を朝目よく開くれば月に鶯の啼く

うち見れば世を終るまで惜まれつ花はわがため絆《ほだし》とぞ思ふ

七十ぢにあまる春までながめても花は老せず若やかに咲く

霞みつつ日は落ちにけり山かげの花のみ白き春の夕ぐれ

年を経て世にすてられし身の幸は人なき山の花を見るかな

ものいはぬ仏と住めばものいはぬ花もたふとし歌の中山

身につもる思を何になぐさめん常磐ににほふ花も咲けかし

うつせみの世に捨てられて山に入れば我より前《さき》に花ぞかをれる

花の色よ老だに隠せ若《わか》からば陰には千世の春も経ぬべし

そよ吹けば香こそはまされあだながら花にも待ちぬ松の下風

かなしくも濡れつつ散りぬさくら花この春雨に濡れつつ散りぬ

山風のはらへば積り積りして簀子《すのこ》に花の絶えぬ庵かな

風ならで訪ふ人もなき山の戸は掃
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