る花も木葉《このは》も嗔らずとながめ悟ればわが法《のり》ぞかし
正眼《まさめ》にて観れば月日も雨風も世に嗔りなき友にはありけり
雲は行く水は流れつ腹黒きおのが嗔りにかかはりもせで
春の花秋の紅葉の色も香も身をなぐさめつ嗔り無ければ
嗔らずば我を守らぬものもなし海山かけて天の下には
過ぎし世に向ひて怒り試みよ空しく消えて跡形もなし
獣《けもの》にも角生ひ蹄《ひづめ》牙歯《きば》あるはむかし嗔りしなごりとぞ聞く
あとの波は前《さき》の波とも知らねどもえにしよりこそ又起りけれ
なにごとも嗔れば破れ睦魂《むつだま》のあへる中《なか》にぞ道は成るとふ
諍はで何れの道もむつまじくつとむれば世の為《ため》とこそなれ
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折にふれて、老を歎きつつ詠める。
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いなと言へど攫《つか》みかかりて皺よりてすべなきものは老の奴《やつこ》ぞ
松生ふる荒磯《ありそ》ならねどしくしくに寄りくるものは老の年波
かりそめと思ひ結びし草の庵いつか頭《かしら》の霜枯れにけん
人かずによみ洩されて老いぬれば浮世の外に生き残るかな
前《さき》つ世の如何なる罪のむくいきて拙かるらん老が身のすゑ
老いて世にすてられんとは思ひきやあはれ六十路もたはぶれの夢
われこそは浦洲《うらす》の鳥のうらさびて世にもまじらず身は老いにけれ
たのみなき老のあはれを敷栲《しきたへ》の枕ぬらして泣く寝覚かな
いたづらに人かずならず老いにけり我やうき世の飯袋《めしぶくろ》なる
年老いて物忘るるは住の江に貝を拾ひしむくいなるらん
草も木も花こそうつれ常磐樹のかはらぬ世こそあらまほしけれ
老いぬれば痩せさらぼへる身を愧ぢて人住む世には出でじとぞ思ふ
六十ぢあまり過ぎしは夢のうき世にて覚めし現《うつつ》は今日ひと日のみ
老いぬれば傾く月を見るにさへ末長からぬわが身さびしも
大椋《おほくら》の池にうかるる鴛鴦《をしどり》のをしき月日をいたづらに経ぬ
あぢきなき我や潮干《しほひ》のみをつくし何のしるしか世に残るらん
我ばかりからき世嘗めし身のはては路の蓼生に骨《かばね》曝さん
身の老いし歎きにまさる憂きもがなそよ其事とまぎれもぞする
かぞふれば七十ぢ三とせ老い暮れぬさりとて世にはわざも残らず
言問はぬ木すら花咲きみのれるを人に生れて木に如かずけり
いつまでの老が命ぞ世の憂きもこの身を土になすまでぞかし
人並に生くる甲斐なし若狭路の後瀬《のちせ》の山の後の世ぞ待つ
愚かなる心に身をば守《も》られきて怨言《かごと》ばかりに世を終るかな
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花の歌の中に。
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春くれば花こそ先づはしたはるれ思ひ捨てても世の中ぞかし
うちはらふ莚の塵もかをるかな咲き埋みたる花の下庵
人の世に心とどめて花見ればさかりの間こそすくなかりけれ
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明治二十九年の冬、洛東歌の中山清閑寺に移り住みて、次の年の春に詠める。
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天地はものこそ言はね鶯を啼かせて山に春ぞ告げける
鶯は稀に来啼けど竹ばしらかたぶく庵に雪はふりつつ
山寺の茅葺ごしに雪折の梅も咲きけり春や来ぬらん
山深み月日も知らず雪ふかみ春と知らねど鶯啼くも
わが老と積りし山の雪のみは年は立てども消えずもあるかな
花を待つ下ごころには春雨のそそぐしもこそうれしかりけれ
わが山の谷間の花の薄明《うすあか》り雨夜《あまよ》の月にむささびの啼く
春雨に花のとぼその霧曇り都のかたも見えぬ窓かな
こころよき春のうたたね降る雨を夢とうつつの中空に聴く
春日かげ長閑に霞む山寺に苔路きよめて花を見るかな
老の身は後たのまれず花のみは春は往ぬともとはに咲かぬか
花の枝の下《した》なる窓を朝目よく開くれば月に鶯の啼く
うち見れば世を終るまで惜まれつ花はわがため絆《ほだし》とぞ思ふ
七十ぢにあまる春までながめても花は老せず若やかに咲く
霞みつつ日は落ちにけり山かげの花のみ白き春の夕ぐれ
年を経て世にすてられし身の幸は人なき山の花を見るかな
ものいはぬ仏と住めばものいはぬ花もたふとし歌の中山
身につもる思を何になぐさめん常磐ににほふ花も咲けかし
うつせみの世に捨てられて山に入れば我より前《さき》に花ぞかをれる
花の色よ老だに隠せ若《わか》からば陰には千世の春も経ぬべし
そよ吹けば香こそはまされあだながら花にも待ちぬ松の下風
かなしくも濡れつつ散りぬさくら花この春雨に濡れつつ散りぬ
山風のはらへば積り積りして簀子《すのこ》に花の絶えぬ庵かな
風ならで訪ふ人もなき山の戸は掃
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