てられて
唯もう常に飢ゑてゐる。
以前は人を怨んだが、
そんな余裕も今は無い。

ゐざりよ、ゐざり、ことことと、
ゐざり車を漕ぐゐざり。
その淋しそな、単調な
車の音に合せつつ、
痺《しび》れた口を張りだして
断えず歌ふは歌でない、
慰めがたいたましひが
爛れた肉を噛み裂いて
おのが黒血《くろち》を啜り上げ、
唯くるしさと、ひもじさを
刹那々々に投げ出だす
荒い、短い、呻《うめ》きごゑ。

ゐざりよ、ゐざり、ことことと、
ゐざり車を漕ぐゐざり。
すべて忙しい世の中に
乞食の歌を誰が聞かう。
路ゆく人は目を反《そら》せ、
おまはりさんは叱り飛ばし、
わんぱくどもは石を投げ、
馬車、自動車は脅《おびや》かす。
華奢《くしや》な街家《まちや》を外《よそ》に見て、
地にへばりつく憂き身には、
風も邪慳に吹きつける、
雨もはげしく降りかかる。

ゐざりよ、ゐざり、ことことと、
ゐざり車を漕ぐゐざり。
大川端をあるく時、
彼れは折々おもひつめ、
いつそ死のかと、楽しそに
水をば覗くこともある。
しかし、木賃の片隅に、
彼れの子供が待つことを、
思ひだしては、曇つてた
瞳《ひとみ》の奥に火が光り、
「ああ、生きてたい」かう云つて、
また漕いでゆく、ことことと…………

    ×

われにも家あり、
花もなく、光もなく、愛もなく、飾りもなく…………
くろがねを経緯《たてぬき》にして作り、
獣《けもの》に於て檻《をり》と呼ぶもの、
これ、わが家なり。

無限の苦痛に対して
早く、わが感覚は慣されたり。
わが家は地の底に建ちて、唯だ冷《つめた》し、
石および氷よりも冷えし中《なか》に、
われは黙々として妄動す。

そは効果あるか、無駄なるか、
われ知らず。
唯だ、妄動は我が今日のすべてなり、
明日《あす》も然らん、明後日《あさつて》も…………

我は久しく太陽を見ざれど、
恐らく、彼は音の如く天の半を横ぎるならん、
太陽のために賀す、既に汝の脚《あし》の用なきを、
わが閾《しきゐ》は汝の訪はぬままに、静かに暗し。
いみじき光を有つ多くの星も、はた、
かの最も高き空の奥に遊びつつ、
我に一瞥だも投ぐる暇《いとま》なからん、
我は其等の星をも賀す。

我は知る、この檻《をり》の家を出づる期《ご》なきを、
また知る、孤独《こどく》は我が純清《じゆんせい》の「真」を汚さざるを。
なつかしきか
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