十、二十の脚《あし》を柱《はしら》の様に立てて居る。
或樹《あるき》は扇形《あふぎがた》の騎士の兜《かぶと》を被《かぶ》り、
或樹《あるき》は細長い胴《どう》に真赤な海老《えび》の甲《かふ》を着けて居る。
或蛙《あるかへる》が牛の声で吼える。
或蛇《あるへび》が鈴を振る。
一尺の守宮《やもり》が人間に呼び掛け、
二丈の鰐が人間を餌《ゑ》にする。
人間は丸木舟の殻《から》に乗つて走《わし》る貝《かひ》だ。
猿は猩々の表情と姿で抱き合ふ人間だ。
春夏秋冬の区別もない、
植物は芽と葉と枯葉《かれは》と、
蕾と花と果《み》とを同時に持つて居る。
片端《かたはし》から熟《じく》して、枯れて、
片端から新しく生んで行く。
人間もさうだ!
手ぬるい夢や憧憬《あこがれ》や、
しちめんどうな瞑想《めいさう》や、
小賢《こざか》しい商量や、虚偽や、
馬鹿らしい後悔や追憶《おもひで》を必要とせずに生きて行く。
彼等は流転を流転の儘に受け入れる。
唯だ珍重するのは愛情だ、
労働だ、勝利の欲だ、
そして其等を讃美する芸術だ。
寝たくて寝る、
歌ひたくて歌ふ、
働きたくて働く、
踊りたくて踊る。
恋しい女は奪つても愛する、
憎い敵は殺して仕舞ふ、
勝つた者は正《たゞ》しく誇る、
負けた者は復讎を企てる。
生《しやう》、老《ろう》、病《びやう》、死《し》は順当な流転だ、
花の開落だ、
そんな事を気にする習慣なんか持て居ない。
自然と生物とが同じ脈を搏《う》ち、
同じ魂《たましひ》と同じ意欲を持ち、
同じ生の力を張り詰めて動くばかりだ!
若し醇粋な人性《じんせい》を保留して居る彼等に、
羞耻《しうち》の道徳を説いて聞かせたなら、
彼等は目角《めかど》を立てて怒《おこ》るだらう、
そして云ふだらう、「大自然の心を知らない、
堕落した人間の余計な僻《ひが》みだ」と。
彼等は赤裸々で居る、
太陽が赤裸々で居る如くに!
そして、彼等が華やかな爪哇《ジヤワ》更紗の一片《いつぺん》で、
または新鮮な一枝《ひとえだ》の木の葉で、
人間の樹の中央《まんなか》につけた性《せい》の果《このみ》を蔽《おほ》ふのは、
礼儀でもなんでもない、
椰子が其果《そのみ》の核《かく》を殻皮《こくひ》の中《なか》に蔵《をさ》めて、
風雨と鳥獣の害を防ぐやうに、
彼等もまた貴い種《しゆ》の宮《みや》を、
敵と動物の害から護《まも》るの
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