妾にかたうどする有様、御主人はまた滅多に家には居ず、たまに帰っても仕事にかまけて奥様とは口もききなさらず、奥様はまったくの独りぼっちなのでございます。御器量といい、おやさしいお心根といい、一点非のうちどころのないかたのようにみうけられますのに、御夫婦仲のよくないということが解せず、お妾は時折りお邸へもお出でるのですが、すが目のでっちりな女でとてもとても奥様とはくらべものにならず、月とすっぽんの何んとやら、御主人のむら気には呆れはてたものでございます。
 奥様は何かにつけわたくし共におやさしく、いまは慢性になって居る故寝こむ程のこともありませんが絶えずゴホンゴホンと咳いるわたくしをみかねてか、鹿児島の海岸にある別荘へ行ってくるようにとのお言葉、朝起きると夜ねるまで針の取り通しに、家の人たちへも気がねがあり、寸時も気を休めることとてはなく、咳を押し殺して仕事をすれば眼のまわりが腫れたりする有様に、良人も勧めて、丁度別荘へお出でのお袋様にお供をし、鶴江ともどもまいりましたが一ト月も居ります内顔色もみちがえるようになり、この元気の好さを良人にもみせてやりたく、はやる心をおし沈めてお邸へ戻りはしたものの、そこに不幸が待っていようとは誰れが想像いたしましょう。
 あね様。
 良人が奥様の男妾になっているという噂がわたくしを待ちかまえていたのでございます。
 男妾……しかも奥様の……ああ、何としたことでございましょう。良人に限って、いや、奥様に限ってそんなことがあるものか、奥様の御器量や御身分をねたみ、言葉をかけられる良人の仕合せをやっかんでの下賤もののはしたなさだろう、とは堅く信じてはいるものの、常日頃の、良人にみせる奥様のおやさしさを思うては不安も募り、堅い心も突き崩れるという他愛なさ。
 お邸へ出いりするおのぶさんという髪結いの話では、別荘へやって下すったのも奥様の魂胆とやら……美男子の亭主をもっていると気苦労なこった、とあてつけがましいものの言いよう。ええ、言わんでもいいことを、と気もちがたかぶり、つい、むかむかと良人に食ってかかりますと、ただ申訳ない、ゆるしてくれの言いつづけ、仰山な恰好にてその場へ泣き崩れるのを、芝居は家では沢山だ、と思いもよらぬたんか[#「たんか」に傍点]などきったわれとわが身の浅間しさに良人をかき抱いてすすり上げるという仕末。あね様、この苦しみは何にたとえようもありませぬ。
 きけば、おたがいの同情が溶け流れて深間へ落ちこんだとか、良人は生来の正直もの故、あったことのありったけを語りきかせたい素ぶりに、過ぎたことはもうそのままに……と無理にもおし止め、奥様には何事もきかず知らん顔、いつものようにお針でまめに仕えている一方、良人には幕内の気安さを説き、丁度、常磐座へかかっていた沢村海老蔵一座に話してみたところ、役者の足りないところとて早速の承諾、良人も新らしい希望にもえ立って一座の人となりました。
 思えば、このわたくしが小娘の頃、良人の舞台姿にこがれて夜毎々々通いづめ、いま奥様の心情をその当時のわたくしに移しかえてみぬ訳ではありませんが、何んとしても殺し切れないものは嫉妬の虫ばかり、それからは奥様とわたくし共の間がしっくりゆかず、一座が福島を旅立つにつれて、わたくし共もお邸をおいとますることになりましたが、別れしなに奥様は鶴江に何か買うてくれ、とて二十円も包んで下さり、何事も何事も水に流して、わたくしも奥様には悪気はもたず、有りがたさにおし頂いてお邸を出たことでございます。
 涼しくはなりましたし、良人も病気上りの目立つ程に肥えふとり、鶴江も至って元気にてこの頃ではセリフの覚えも早く、子役で時折り舞台へ出る程になり、幸いの神もようようめぐり来たかと悦んでは居りますものの、ただ気になるのはこのわたくしの躯、顔色がなおったとは言い状、咳は又してもひっきりなし、それにこの頃の胸わるさ吐き気はどうやら子が宿っているらしく、弓子の死んだあとはもう見きりをつけていたものの、この境遇にまた一人ふえられてはどうしたものだろう、出来ぬでもよい身には出来、欲しい人には出来ぬ、と歎けば、良人は、縁あればこそ子も生れるのだ、犬猫でさえ何んとか育てていくではないか、また、生んだ時は生んだで何んとかなるだろうから、くよくよ案じるな、と力づけてはくれますが日増しに重くなる身で再び旅から旅へのさすらいとは……ああ、あね様、何やかや考えるとこの身の置きどころもないように思われ、心細くて心細くてなりません。
 実は、尾形家に居ります内にも一本葉書なりと差上げるつもりでありましたが、他家にいる身にはまるでくくられているようで、御飯の時以外には体の休む時はなくたよりひとつ書けず、良人は良人とて牡丹刷毛はもてど筆もつすべは知らず、ついつい明日は明日はとのびのびになり加様に御無沙汰いたせし次第何卒々々おゆるし下され度、ねがいあげ候。
 鶴江の育つをみるにつけ、菊ちゃんもさぞ大きくなられたであろうと存じますが、おかわりもありませんか。またあなた様のことは時折り夢にさえみ、あの黒髪のゆたかさなど懐しくしのんで居ります。岡村へはあのままたよりもいたしませず、余りの御無沙汰に、今日はこのあとに一本書いて出すつもりで居りますが、あね様からもおついでの時くれぐれも宜しく、伊助の写真でもありますならどんなに小さいのでもよろしいから一枚送って下さるよう、おねがい申して下さいませ。また、あれの書きました習字でもありますなら(どんな書きくずしでもよろしく)これも一枚おねがいいたします。
 いつもいつも嬉しいたよりはきこえあげず、さぞかしおうるさい事でありましょうが、父からはかえりみられず、岡村のあに様や戸部の伯父とてあの様なもの堅さではとりつく島もなく、ただただ頼りになるのはあね様のみ、嬉しいにつけ悲しいにつけ、つい、お耳にいれておすがり申したきこの心情、何卒御推察下さいますよう。
 つきましては、加様に不甲斐なきわたくしの躯故、またもまたもと良人に薬買う金もせがまれず、さりとて、このままにては何時果てるやもしれず、あね様ひとりを頼りと思い、たってのねがいおきき届け下さいますよう、金十円程を御融通下さる訳にはまいりませんでしょうか。出来なければ九円でも八円でもよろしく、これはひと興行終りますれば良人の手にも幾ばくかの金が入ります故、是非にでもおかえし申しますれば、御安気下され度。この久留米にはあと半月も居りましょうから、まだまだおたよりはさしあげますなれど、お躯くれぐれもお大切にあそばすよう、伏してねがいあげます。
[#地から2字上げ]かよ



底本:「神楽坂・茶粥の記 矢田津世子作品集」講談社文芸文庫、講談社
   2002(平成14)年4月10日第1刷発行
底本の親本:「矢田津世子全集」小沢書店
   1989(平成元)年5月
初出:「文学界」
   1934(昭和9)年8月号
入力:門田裕志
校正:高柳典子
2008年8月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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