なった。煙管で頬のあたりを掻きながら茶の間を出て行く紀久子へ、
「旦那様の御旅行のお支度でしたらお手伝いいたしましょうか」と尋ねた。それで、明朝の父の新潟行きを紀久子は思い出したので離れへ行きかけた足をちょっと停めた。そして、
「いつもの通りですから独りで結構よ」
と廊下から声をかけて父の居間へ入り袋戸棚からスーツケースを下した。新潟にある鉄工場を見廻りに父はひと月に二三度はこうして出かけるのだった。旅といっても仕度をする程のこともなく、汽車の中で使うタオルにハンカチを余分に二三枚用意しておくだけでよかった。それが母のいた頃からの慣しであった。
「長旅をなさるのに着換えを持っていらっしゃらないと御不自由ではないかしら」
いつものように父の旅支度をしていた母へ紀久子は尋ねてみたことがあった。
「御不自由などころか新潟のお宿ではお父様の肌着から足袋まですっかり用意が出来ているのですからね」
こう云って母はスーツケースから眼をあげて何気ない風に庭をみやったが、気のせいか、そのそばめた眼つきには皮肉めいたものがみえた。
「まるでお家のようね。それじゃお父様御ゆっくりなされるはずですわ」
母の言葉を素直に受けて紀久子が云うと、それまでやわらんでいた母の顔にキリリッと癇の走るのが分り、膝へ重ねた手が妙にそわそわしてきた。そして、何かの用事で廊下を通って行った福を母は高く顔をあげて呼び停めると、「その足袋のはきかたは何んです」と、こはぜ[#「こはぜ」に傍点]が外れて踵の赤い皮膚が少しばかりのぞいているのを指さして甲高く叱りつけた。
福は慌てて廊下へ膝をつき、こはぜをはめると「申訳ございません」と手をついて下った。
いつも静かな母をみているだけに紀久子はこの時の唐突な母の振舞いには愕かされたが、少し経つと妙にもの好きな心が動いてきて偸むように母の顔を何度も見なおした。
それからずっとのちになって姉からおきえさんのことをきかされた時に初めてあの時の母の神経が痛く胸にこたえ、母のつらさがそのままこの身に植えつけられた思いで、おきえが憎いよりはただ訳もなく迂闊なもの云いをした自分が忌々しく肚立たしかった。
紀久子がはじめておきえさんをみかけたのは、あれは女学校四年頃の何んでも春休みのことで、その朝新潟へ立つ父を見送ってから近所の花屋へ活け花をたのみに行って戻ってくると門のところで紫の袱紗包みを抱えた外出着の母と行きあった。待たせてあった自動車《くるま》へ忙しげに片足をかけ、母はちょっと思いなおした様子で紀久子を呼んだ。
「大事なものをお父様がお忘れになって。紀久子の方が早いようだからお願いします」
母は袱紗包みを紀久子へ押しつけると、汽車は九時の急行ですから急いでたのみます、と運転手へ念を押した。
常着のままなのを気にしながらともかく自動車へ乗ってうしろの窓から振りかえると、門を入って行く母のうしろ姿がみえた。余程慌てて帯を結んだものとみえ、小さなお太鼓が曲っていた。
駅へ着いてホームへ駈けつけると後尾の二等車に父の姿が直ぐにみつかり、「お父様お忘れもの」と声をかけてからはっとして思わず紀久子は息をひそめた。父の横に見慣れぬ庇髪の女のひとをみかけたからである。それがひと眼で紀久子には姉にきかされていたおきえさんだと分った。
父は振りむくと、
「わざわざ持って来んでも送ってくれてよかった」と云った。父の眼は紀久子の顔を見ず、どこか肩のへんを見ているようであった。汽車が動き出すのにはまだ一二分の余裕があった。紀久子は直ぐにこの場を去ったものかどうかと思いまどった。一刻も早く去ることの方が父の気もちを救うことになりはしまいか。漠然とそんな気がして足を動かしかけると、胸いっぱいに新聞をひろげて読んでいた父が顔だけをこちらへむけて、
「皈ってもよろしい」と云った。このひと言に思いがけず紀久子の心が反撥した。皈ってやるものか。そして、汽車の窓へ近ぢかと立っておきえさんを眺めはじめた。おきえさんはこちらへうしろをみせていた。紫紺色の半襟で縁どられたぬき衣紋のなめらかな襟足がすぐ眼の前にあった。茶縞のお召に羽織は黒の小紋錦紗に藍のぼかし糸をつかった縫紋の背が品よくみえたが、ふと、その紋が家の麻の葉ぐるまだと気付いて紀久子はこみあげてくる屈辱感からさっと顔色を変えた。手をのばしてその紋をひったくってやりたい衝動を感じる。そんな激しい気もちの中で紀久子は新聞に見入っている父の平静な横顔を何かふてぶてしいものに思い、麻の葉ぐるまのおきえと並んだ姿に妙に妬心を煽られていった。
汽車が動き出すとおきえさんは姿勢をなおすとみせてちらりと紀久子の方をみた。眼が合うと困ったようにハンカチで片頬を抑えて俯向きになったが、その仕草がどうもお辞儀をしているように思われたので紀久子もちょっと頭を下げた。
皈りの自動車の中で紀久子はとりとめもなくおきえさんのことを考えていた。麻の葉ぐるまが眼さきにちらついて困った。ふと、あれを母がみたらどんなか、と想像してみただけで胸騒ぎがした。母でなくてよかった、こう思って安堵すると急に力の抜けたような気がしてぐったりとなった。
三
姉の話によるとおきえさんは生粋の新潟美人で、何んでも古街で左褄をとっていた頃父に落籍《ひか》されたとのことであった。海岸に近い静かな二葉町に家を構えてからは遊んでいても何んだからと娘《こども》たちへ長唄を教えていたが、どうせ退屈しのぎの仕事だったから本気で弟子をとるということをせず、父のいる間は気儘に稽古を休むという風らしかった。
父が胃潰瘍で新潟の妾宅に永らく臥っていた頃、表むきはリウマチで動けないという母の代りに姉が出向いて十日余りも滞在したことがあった。姉とおきえさんの仲がほぐれていったのはそれかららしい。おきえさんは父について上京すれば何かと手土産を持って姉の家を訪ねるのが慣しになり、姉の方でも母に隠しておきえさんへはあれこれと心づかいをしている模様だった。もっとも姉の心づかいにはおきえさんへというよりは父への義理立てに迫られたものがあった。母との間が疎かった父にしてみれば「お父様っ子」として育った気立の優しい姉が誰れよりも心頼みだったし、それを姉はよく知っていた。そして、父の信頼を地におとすまい、とする心が働いておきえさんへの「おつとめ」になっているらしかった。
いつぞや、紀久子が学校の皈り姉の家へ寄ると、外出の支度をしていた姉は何やら工合の悪そうな様子をして、これから歌舞伎へ行くのだが、席はどうにか都合つけるから紀久子にも行かないか、と誘いかけたが、そのはずまないものいいがへんに紀久子を拒んでいるように思われたので着換えに皈るのが面倒だからと断ると、
「じゃ、またこんどのことにしましょうね。それにきょうはおきえさんのお供なんですからね」と姉は云い訳をするように気がねらしく云った。そして紀久子が皈りかけると「母様へはこのこと内緒ね」と追いすがるようにして念をおした。姉はおきえさんのことについてはこだわりなく何んでも紀久子へ話してきかせるのだったが、そのあとでおきまりのように「母様へは内緒ね」と念をおすのだった。それは姉の単純な優しい心ばえから出た母への劬《いたわ》りともとれ、また父に対する例の節操から話が母へ洩れるのを警戒しての言葉ともとれた。紀久子はそれを云われる度に曖昧な姉の心もちを疑ってきた。そしていつの間にか自分も曖昧などっちつかずの心で絶えず父と母を窺うようなことをしているのに気付いた。ふと、それが物心のついた頃からの永い間の慣しではなかったかしら、と思いめぐらしてみる。父と母の不和を湛えた暗く冷い空気の中で育てられた自分ら兄妹には共通したこの両親への窺いがあって、それがもはや気質にまでなっているのではないか。こう考えてくると、自分ら親子のつながりがどうにものっぴきのならぬ宿命的なものに思われてきて、暗澹とした気もちに襲われるのだった。
父と母の不和は従兄妹どうしだという血の近さからくるものが主であるらしかった。その不和が「家のために」というひとつの旧い習慣の下でぶすぶすと燻りつづけてきた。母のいるところでは父は黙りこんでいる。父の前で母は多くを語らない。父の身のまわりのことは紀久子がその代りをつとめるのが仕来りになっている。
父が家にいる間は母はリウマチを口実にして早くからやすむのがいつもの事であったが、母がやすんでしまうと茶の間には妙にくつろいだ気分が流れてひとしきり話がはずむのだった。居間で書きものをしていた父が時たま茶の欲しそうな顔をして、
「ばかに賑やかだね」と入って来ることがあった。珍らしく落雁をつまんだりしながら兄の馬鹿っ話につい笑いを洩すこともあったが、そんな時の屈託のなげな父の様子をみているとふだんの気難しい孤独な父の姿が哀しく迫ってきて、そのかげにちらつく眼をそばめた母の顔が意地の悪い冷いものに思われるのだった。
こうして茶の間の話がはずんでいたいつかの夜、果物か何かを取りに厨へ行きかかった紀久子は離れの廊下のところに立っている母に気付いて声をかけようとすると、うろたえて手でおし止めるような恰好をして母は厨へ入っていった。母の立ち姿はうす暗い廊下の明りではっきりとはみえなかったが、前屈みになってこちらを窺っているような気振りが感じられた。
その夜、遅くなって紀久子は離れの寝間へ入っていった。めっきり弱くなった母の躯が気になって紀久子はずっと母の横にやすみ、夜中に何度か眼をさましては母の様子をみるようにしていた。
寝倦きたらしい母は蒲団の上へ坐って足をさすっていた。
「こう寒むくてはお小用が近くなってね」
母は独り言のように云った。
蒲団の裾へまわって湯たんぽの加減をみていた紀久子は「え?」と聞きかえした。
「いいえね、母様もこの分だと永いことはあるまいよ」
母は気力のない声でこう云うと大儀そうに紀久子の手をかりて横になった。
よく母は何かでひがんだような時にこんなに云うのだった。それがいかにも母そのものをおしつけられているように聞えて、紀久子は妙に意地の悪い心もちになって聞き流しにするのが癖になっていた。今も紀久子が黙っていると母はどういうつもりか皺めた顔を何度も手で撫でおろすようなことをしながら、
「母様がいなくなったら家の人たちは大っぴらに騒げますからね。ほんとうに、永い間気づまりな思いをさせてすまなかったこと」
と誰れにともなく云った。声がへんに潤んできたようなのでそっと顔をみやると筋ばった手が眼のあたりを覆うている。何んと云うたものか、と紀久子はちょっと惑った。そして「それは母様の思いすごしよ」と、つい慰めるように云ってから、これではいけない、と気付いた。母が待っているのは別の返事である。それが分ると口をきくのが億劫になってきた。いつものように母の枕元に坐り徐かに髪を梳いてやると、やがて顔から手を落して静かな寝息をたてはじめた。眼頭の窪みに溜った白く光る涙の玉をみていると何んとも云えない程哀しくなってくる。泣きたいようである。けれど、その感動には何やら乾いたかさかさしたものが交っていて、それが紀久子の泣きたい心を阻止している。そして、白く光る母の涙をじっと視詰めながら、その涙を羨やましい、と思った。
父と姉の結びつきを知っている母が、姉とおきえさんの交渉に感付かないはずはなかった。姉が隠しごとをしている。その不満がしぜん飯尾さんへ洩らされる。姉が皈ったあとなど、母と飯尾さんは火鉢ごしに額をつきあわせるようにしてひそひそ話しあっていることが度々であった。常は無口な母もおきえさんのこととなると余程癇にさわるとみえて、その声音が気色ばんでくるのが分る。聞き手になっている飯尾さんの尤もらしい表情には母を憫れむような恩恵を施すような微笑が優しく動いている。
「たかがそれ者[#「それ者」に傍点]上りの女ではありませんか。相手になさるな」と片手を振って母の話を払いのけるような恰好をする。母の興奮が少しずつ
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