であった。世間体があるとはいえ、父が籍をいれてやらない心もちもうすら分った気がして紀久子はおきえさんの立場が憫れなものに思われてきたが、ふとこの心を眺めおろしているとりすました自分に気が付いてちょっと厭な気分になった。
おきえさんの着いた夜は出入りの仕出し屋から料理をとり寄せて内輪な会食ですませた。披露をかねる意味あいからその席へごく近い親戚の人たちをも呼んだら、との話も出たけれど大げさなことは真っ平だ、と父はいつになく声を荒らげるのだった。そのあとで何やら工合わるそうにして座を立つのだが、やがて、陽当りのいい居間の縁ばなにしゃがんで籠のカナリヤを人差指で嚇かすようなことをしている父の屈託のない姿がみうけられたりすると、茶の間の姉と紀久子はつい頬笑みかわすのだった。
おきえさんを迎えてからの父の気難しさはその性質を変えたようにみえる。癇がたかぶっていらいらしていたのがどこかへ吸いこまれたように消え去って、ただ仕くせになっている眉間の縦皺がのこっているだけである。時に、この縦皺もひとりでにひらいて、めっきり光沢をました頬のあたりに明るい微笑のゆれていることがある。こうした父をみかけた時に、紀久子の裡にいつも浮んでくるひとつの想いがある。――この仕合せそうな父をずっとみているとそこから亡くなった母の寂しそうな姿が迫ってきて父への憎悪が今この胸へこみあげてくるにちがいないと思う。今々と待っていてもやっと思い浮んだ母の姿には悲痛の感動がともなわず、一向父への憎しみが湧いてこないばかりか却ってそのやわらんだ明るい父の顔から不思議にほっとした長閑な気分になるのだった。気が付いてみると母が亡くなってからずっと、このほっとした気分がつづいている。何か神経のゆるんだような感じであった。
母がこれまで使っていた離れの二間がおきえさんの居間にあてられた。
「須藤はこれまで芸一方でやってきたのだから家庭のことは不得手だろう」
朝風呂をすませて縁へ出てきた父が、離れの手すりにもたれて池の鯉へ麩を投げているおきえさんをみやりながらこう独り言のように云うているのを傍で紀久子は聞いていたことがあった。父はおきえさんをいつも須藤と呼んでいた。その、紀久子へきかせるための独り言は何か非家庭的なおきえさんを弁護しているとも思われるし、また、そうしたおきえさんの立場を当然認めてやっている、いや、お
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