に思われたので紀久子もちょっと頭を下げた。
皈りの自動車の中で紀久子はとりとめもなくおきえさんのことを考えていた。麻の葉ぐるまが眼さきにちらついて困った。ふと、あれを母がみたらどんなか、と想像してみただけで胸騒ぎがした。母でなくてよかった、こう思って安堵すると急に力の抜けたような気がしてぐったりとなった。
三
姉の話によるとおきえさんは生粋の新潟美人で、何んでも古街で左褄をとっていた頃父に落籍《ひか》されたとのことであった。海岸に近い静かな二葉町に家を構えてからは遊んでいても何んだからと娘《こども》たちへ長唄を教えていたが、どうせ退屈しのぎの仕事だったから本気で弟子をとるということをせず、父のいる間は気儘に稽古を休むという風らしかった。
父が胃潰瘍で新潟の妾宅に永らく臥っていた頃、表むきはリウマチで動けないという母の代りに姉が出向いて十日余りも滞在したことがあった。姉とおきえさんの仲がほぐれていったのはそれかららしい。おきえさんは父について上京すれば何かと手土産を持って姉の家を訪ねるのが慣しになり、姉の方でも母に隠しておきえさんへはあれこれと心づかいをしている模様だった。もっとも姉の心づかいにはおきえさんへというよりは父への義理立てに迫られたものがあった。母との間が疎かった父にしてみれば「お父様っ子」として育った気立の優しい姉が誰れよりも心頼みだったし、それを姉はよく知っていた。そして、父の信頼を地におとすまい、とする心が働いておきえさんへの「おつとめ」になっているらしかった。
いつぞや、紀久子が学校の皈り姉の家へ寄ると、外出の支度をしていた姉は何やら工合の悪そうな様子をして、これから歌舞伎へ行くのだが、席はどうにか都合つけるから紀久子にも行かないか、と誘いかけたが、そのはずまないものいいがへんに紀久子を拒んでいるように思われたので着換えに皈るのが面倒だからと断ると、
「じゃ、またこんどのことにしましょうね。それにきょうはおきえさんのお供なんですからね」と姉は云い訳をするように気がねらしく云った。そして紀久子が皈りかけると「母様へはこのこと内緒ね」と追いすがるようにして念をおした。姉はおきえさんのことについてはこだわりなく何んでも紀久子へ話してきかせるのだったが、そのあとでおきまりのように「母様へは内緒ね」と念をおすのだった。それは姉の単純な優
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