「わしですか。何撃ちにきたか分らねえです」
「こんな天気だからな、蕈こ[#「こ」に傍点]取りにも会わねえして……。お父《ど》さん、家かい?」
 先生は手の甲で赤髭を撫でた。
「相変らずでして。寝てる間も起きてる間も、算盤玉こ[#「こ」に傍点]ばかりはじいていますて」
 仙太の父親は、油商売のほかに、高利で金を貸付けていた。
「算盤玉こ[#「こ」に傍点]もええが、お前のことにも困ったもんだな」
 仙太は藪を出て、先生のあとから道を下って行った。黒は早足で二三間さきを急いでいた。そして、時々ふりかえった。
 雲がすっかり空を覆い、いまにも雨が降りそうだった。松林が、ごうごう、音をたてていた。
「仕様ねえです。何言ったって始まらねえですよ、先生」
「昨晩《ゆうべ》な、お前のお父《ど》さんが来て大体の話は聞いたが、それあ菅原の家も無理矢理身重の高さんを引っ張って行くってのは道理に外れている! お父さんもお父さんで、約束は約束だからな、今すぐ出来ねえと断らんでも、なんとか言いようもあるもんだと思う。お前の家にとって千円位の金がなんとかならんわけでもあるまいし、おっつけ孫の顔を見ようというどたんばになって、親同志の張り合いじゃあ、仲人になったこの俺も立つ瀬がないというもんだして……」
「わしもそう思うです。お父《ど》にも何度も頼んでみたんですが、今じゃお父よりもお母《が》のほうが意地を張って、けしかけているような始末です。高の悪口ありったけ並べ立てて、ゆうべなんかも、穀《ごく》つぶしが減ってせいせいしたなんて……あんまりだと思うと、ついわしも肚が立って怒鳴りつけてしまうし、この頃は、家にいるとくさくさするので、山さばかり来ていますて」
 仙太は道端の松の木に片手を触れながら歩いた。
「俺も仲人になった手前、この話は何んとか纏りを付けねば、第一世間に顔向けが出来ねえしなあ。お前もここ暫らく辛抱して、楯つかねえ様にしな。おっつけ恰好がついたら、役場さでも出るようにして、家を別に二人っ切りで持つだなあ」
 仙太をやりすごしておいて、先生は、空を仰ぎながら立小便をした。
「何んと、雲の早えこと!」
 仙太は少しさきで待った。爪さきで石ころをはじきとばしながら、何故ともなく、結婚当時の生きいきとしたお高の姿を思い浮べていた。頤を突き出すようにした甘え顔の愛おしさ、羞を含んで俯向いた時の
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