、また、抱き上げて、とんとん、と歩きはじめる。
医者は、時候のせいだと言った。曖昧に笑いながら、
「なんといっても、母乳にかなわねえですからな」とも言った。
医者の帰ったあと、仙太は、永い間赤子の枕元に坐っていた。赤子は眼をつむったなり絶えだえに泣いた。仙太は赤子を忘れたように、腕組みをして黙りこんだ。そして、気力なく立ち上り、自分から薬をとりに医者の家へ行った。
新町の通りで、時二郎に声をかけられた。
「仙太さん、なんと、窶れたなあ」
「仙一が具合わりくてな」
「そうかい、大事にな」
時二郎は行きすぎてから戻ってきて、
「お前《めえ》、知ってるかい。お高さん、あさって県下から帰って来るってな」
「俺にあ用はねえ」
と、仙太は横を向いた。
翌々日、空は晴れあがっていたが、街道にはまだ処々に水溜りがあった。
仙太は、弱々しい寝息を立てている子供の傍で、久しぶりに髭を剃った。鏡の中の顔を見、子供の顔を見た。どっちも、げっそり痩せていた。
午すぎて、仙太は、山へ行く、と言ったなり黒をつれて家をとび出した。
「全で子供みてえなもんだな。好き勝手なことばかりして……」と、母親は愚痴っていた。
駅からの往還を町へ三丁手前の七曲りの松の傍まで来た時、仙太は時計を見た。そして根かたに寝転んだ。
馬車は一時三十五分に一台通った。仙太は立ち上ったが、また、寝転んだ。そして、そのまんま、ぐっすり眠った。
はっと気がつき、しまったと思った。背中がぐっしょり濡れていた。時計は併し下りの馬車が来るまで、十分程あった。動悸のはずみを、じっと抑えた。
馬車が姿を現わすと、仙太は往来へとび出した。彼《あれ》を慥かに視た。
「爺っちゃ、止ってけれ!」
馬車屋は、中の客へ早口に何か言って、馬に鞭をあてた。馬車は傾き、水煙りをたてて仙太の前を激しく揺れ進んだ。
「待て!」
と、仙太は叫んだ。
「話あるから、待て!」
仙太は馬車を追った。犬は吠え立てながら先を走った。
「なして、待たねえんだ!」
ようよう馬の手綱を掴えて、息を途切らし、いきなり馬車にとび乗りさま、お高に襲いかかった。
「仙太さん!」
お高は抵抗した。仙太はお高を馬車の外へ曳きずり落した。犬は二人のまわりをぐるぐる廻りながら吠え立てた。
「話きいて、さ」
お高は道に膝をついて、落ちつかせようと男の着物を合
前へ
次へ
全16ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
矢田 津世子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング