町の屋根からは、この松の木が、雪に埋れて、ほんとうに背丈が低く、ちび[#「ちび」に傍点]て見えるのだった。
 この町には、七の日毎に市《いち》が立つ。老い萎えている町の呼吸が、この市日で、微かに保たれているようである。「五城目の市日」といえば、昔から、この近郷の人々が寄り集う慣わしであった。
 町の目抜き通りの上町下町をとおして、両側に、物売りが並ぶ。人が出盛る。
 この物語りは、漸う山々が白くなりだした頃からはじまる。この頃の季節には、近くの八郎潟からあがったばかりの白魚だの小鮒だのが、細い藻なんどのからんだまま、魚籃から一桝いくらで量られる。雷魚《はたはた》売りの呼び声が喧ましくなるのも、もう、直ぐである。買い手は、ブリコ(卵)のたっぷりとはいったところを素早く選み分けようとして、売り手との間に小さな諍いが起る。
 蕈を売る女衆が、ひっきりなしに呼びかける。奥山から背負ってきた小粒のなめこ[#「なめこ」に傍点]が多い。枯れた葉っぱがくっついていたりして、それなり量っているのを見て、買い手は笑いながら文句をつける。そして、ひとつまみばかり、まけさせる。
 この物売りたちの中にまじって、町の小商人たちも店を張る。下駄屋だの、太物屋だの小間物類の雑貨屋だの……。
 市の日は、飲み屋の書き入れ時で、うす汚れの暖簾をぴらぴらさせた屋台がいくつも並ぶ。まだ荷もあけないうちから、濁酒《どぶろく》をひっかけに行っている若い衆もある。酔った揚句の張り高声をあげて、荷も忘れて、あちこち浮かれ歩いたりしている。このような飲み助の相棒は、あぶらやの仙太親爺ときまっている。
 仙太は、この町での飲み頭《がしら》であった。酒にかけては抗《かな》うものがいない。この親爺が白面《しらふ》で歩いているのを、町の人たちは見かけたことがないという。
 仙太のあぶらやは、もと、この町でも指折りの旧家としてきこえていたけれど、いつの頃からか左前になって、今では、昔からのだだっぴろい店構えを、後取り息子の仙一がひとりで取りしきっている。先代の遺した産を、親父の仙太がけろりと、飲み乾してしまったと町の人たちの噂である。
 仙太は、ずっと鰥ぐらしを通しているが、これについて、町の人たちはいろいろに取沙汰していた。在のほうに隠し女がいるという噂も立ったが、これは、嘘らしい。
 噂を立てられながらも、仙太は、
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