。が使い慣れないと怪我するでね」
時二郎が大きく欠伸して出て行った。
「なんか、面白い話でもあったんか?」
「今朝の新聞の心中ものを読んでいたところでして」
親方はぎごちなく笑った。そして、研ぎ上った剃刀を頭へあてがい切れ味を試した。
外は風がまだやまなかった。硝子戸が激しく鳴っていた。
仙太は、冷えた湯で顔をなでられるごとに口をきつく結んだ。
「一服していったら」
仙太が立上り、前をはたくと、親方は炉端の煙管を取りあげた。
黒はむっくり起きて、主人に跟いて出て行った。
「仙太さんも変ってきたなあ」
と親方は、煙草を詰めながら独りごちた。
雨は降らなかった。風は闇の中に烈しく音を立てていた。一里はなれた線路を走る汽車の汽笛が微かに懐えてきこえた。
墓地は暗く、椎の木が苦しげにうめき叫んでいた。
仙太は立ったなり何度も燐寸を擦った。
「坐ったらいいのに……」
お高はうずくまって、袂を屏風にしてやった。
「寒くないかい」
「それよか、人に見られるといけないから、もう少し小っちゃくなったら」
仙太はくすん、と笑って、肩を屈めるようにしてお高に寄り添うた。
「駄目だ」
莨を足で踏みにじって、いっ時、息を呑むようにしていたが、思いきって尋ねた。
「この前、遅くなって、なんとも言われなかったか」
「うん、何にも。でも、知ってて知らんふりしているかも知れないけど……」
仙太の気持はだんだん落ち付いてきた。そして、その後の出来事をずっと話した。父親は、自分の出様によっては、我を折ってくれる見込みも立っているけれど、母親がどうしても意地になっていて、承知しそうもない。「金で嫁を買ったんじゃあない」と頑張るのだ。――仙太は眼を伏せて言った。お高も眼を伏せてきいた。――二人の仲は、県下の学校に行っている時からのものだから、無論その愛は純潔で、何ら非難を受くべきでない。しかし、事がこう面倒になってきては、全く手の施しようもない。意地を張っている俺《おら》方の母親も分らず屋だが、犬っころみたいにお前を連れ帰ったお父さんも少し短気すぎる。でも、柳屋先生が元通りに納めてみせるって、今日も言っていたし、自分は何度も何度も頼んでおいたから、きっと万事旨くいくだろう。先生は、自分を役場の方へも世話してくれる積りだ。二人で別居して、水入らずの家をもて、と迄言って下さった。―
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