した口あたりが殊によい、梅干は古いほどよかった。良人の役所の小使が宝のようにしていたという明治二十六年漬の梅干を拝むように頼んで分けてもらったのが今でも大事に納ってある。いつだったか近所に火事があったとき、良人がこの梅干の小壺を抱えてうろうろしていた恰好があとあとまで笑い種《ぐさ》になった。
土鍋一つで清子がいろいろなお粥をこしらえるものだから良人は清子のことを「粥ばば」と言ってからかったものだった。手入らずのお金《あし》かからずだとて、客をもてなすにも清子のお粥である。良人はよくこう冷やかした。
「役所が馘になったらお前さんにお粥屋をはじめてもらうよ。粥清《かゆせい》とでも看板をあげるか。いかに何んでも粥ばばではね、色気がなさすぎる」
自分の思いつきに独りでクスクス笑うのだった。こんなことも附けたした。「そしたら憚りながら俺は手ぶらで食わせてもらうよ」
清子も負けてはいなかった。
「どういたしまして。そうなったら旦那さまには前掛けをさせてお米とぎから火おこし、それから出前持ちをして頂きますわ」
「おやおや、女房の煙管で亭王こき使われかい」
「煙管どころか、わたし算盤で大忙しよ」
思えばこうした楽しいやりとりも今となっては詮ない繰り言になってしまった。
この頃になって清子はやっと正気づいたような気持で亡夫のことをあれこれと思い出すのだけれど、眼にまつわるのはその面立ちよりも不思議にいかつい肩のあたりや墨汁臭い指だった。この思いがけなさに清子はまごついた。良人はいくらか猫背の右肩だけが怒ったようになっていて、そのため後ろ姿が癇の強い年寄りじみて見えた。長年硬筆を使っていたため右手の中指にはコチコチのたこ[#「たこ」に傍点]が出来ていて、そこだけ墨汁が染みこみ黒ずんで、風呂に入ってもどうしても落ちなかった。
良人は区役所の戸籍係りだった。二十七の齢から勤めはじめて一年ほど清掃係りをしていたが、今年四十一歳で亡くなるまで戸籍係りを動かなかった。郷里の師範学校を出るとすぐに一日市《ひといち》の小学校に奉職したのだったが、文検を志して、やがて一家をあげて出京したのだった。夜間大学の高等師範科に通うかたわら、ほんの腰掛けのつもりで勤めはじめた区役所が、とうとう本坐りになってしまった。文検のほうは、いつからか諦めていた。
良人の係りは書くことが仕事だったし、混む日な
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