と話しかけた。
「何んだい」とマスクの顔が振りかえった。お初は何やらためらっていたが、
「いいえ、何んでもないの。きょうはとてもお寒いのね」と云った。
「そうだなあ。どこかで熱いものでも食べていこう」
「あら、御馳走して下さるの。そんならね、川鉄の鳥鍋がいいわ」
 マスクの顔が振りかえった。
「莫迦が! きょうでやっと百ヶ日だというに、何んで俺が鳥を食う……」
 こう呶鳴っておいて爺さんはとっとと歩いていった。爺さんが呶鳴ったのには、自分の精進が忘れられている、ということよりもお初の贅沢心に急に肚が立ったからである。だから、あんな女は家へはいれられないというのだ。爺さんの白足袋はせかせかと歩いていく。亡くなった内儀さんのことが思い出される。種がいとしまれる。ふと、爺さんは、種を養女にしたらどんなものだろう、と思いついて、
「これあ、存外莫迦にならない話だわい」
 と独り言を云うた。



底本:「神楽坂・茶粥の記 矢田津世子作品集」講談社文芸文庫、講談社
   2002(平成14)年4月10日第1刷発行
底本の親本:「矢田津世子全集」小沢書店
   1989(平成元)年5月
初出:「人民文庫」
   1936(昭和11)年3月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:高柳典子
2008年8月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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