の扱いようは蛇蝎をみるが如しであった。それがいつの間に心がほぐれたのか季節の見舞いは欠かさぬようになり、盆暮には心をこめた郷里の名物が送られるのである。
爺さん夫婦は養子の話が出るたびに顔を見合せて苦が笑いをする。どうも素直には話にのれぬ気がするのだ。安さんは兄さんや代書屋を貶して、あれたちは財産めあてなのだから、と暗に警戒を強いるし、兄さんの方ではまた安さんや代書屋に兎角難くせをつけたがる。それへ代書屋が内儀さんを突っついて何んとか色をつけて貰おうと焦せる。爺さん夫婦にすれば、どの親類も下心があって近づいてくるように思われるので、どの親類をも易々と信用することが出来ない。それに爺さんには、自分の不遇時代にとった親類のいかにも冷淡なあしらいようが心にこたえているので、今更お義理にも親類のためを思うなどいう気もちにはなれないのだ。それどころか、親類のものたちがつめ寄れば寄る程、爺さんの心は金をしっかと抱いて孤独の穴倉へとのがれていく。ここまで貯めるには若い時から並大抵の苦労ではなかった、と爺さんは今更のように懐古して、心に抱いたお宝をしんみりと愛《いと》おしむのだ。
爺さんは渡仙の店で働いていた頃は猪之さんと呼ばれて、しっかり者の主人にみっちりと仕こまれた。渡仙は高利と抵当流れで儲けて、一代で身上をあげた男であった。その儲けっぷりを世間では悪辣だなどと評するのだが、誰ひとり彼の仕事に勝つものが出てこない。どんな悪評があろうとも彼は結局羽後で随一の高利貸し渡仙であった。
「どうも、世間の者あこの俺を高利で食っとる云うて白眼視するがな、三井三菱とこの俺と較べてどれだけやり口が違うというのだ。奴らは背広を着とるが、この俺あ前垂れをかけとる、というだけの違いじゃあないか」
渡仙は店の者のいる前でよくこう云うて嗤った。また、「義理、人情で算盤玉ははじかれない」と云うて貸し金の取り立ては一歩も譲ろうとはしない。世にいう渡仙は梟雄のたぐいであった。その度胸のよさと商売上のこつ[#「こつ」に傍点]と節約ぶりを猪之さんはそっくりそのまま頂戴している。尤も、その節約に実がいりすぎて爺さんのはちと嗇《しわ》くなっている。
三
渡仙の手代をしていた頃から猪之さんは近所のものへ小金を貸しつけ、そのうち持ち金が利子で肥ってくると少しばかり商売気を出して玄関脇へ「小口金融取扱
前へ
次へ
全21ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
矢田 津世子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング