、五もくを拵えましたの。お母さまお好きのようでしたから……」
云いながら膝の上に置いた重箱の蓋を取ってみせた。
「それはまあ、御馳走さまだこと。このお祖母ちゃまはうっかりお祝いを忘れていましたねえ。ごめんなさいよ」
老夫人は孫の頭を撫でて詫びた。そこへ、おしもがニコニコした顔で入ってきて、
「お待たせいたしました」
と云って、盆へのせた小皿を差し出した。
「云いつけもしないのに何んで持ってくるのです」
突然、老夫人は険しい声音で叱りつけた。叱られることには慣れているおしもも、今日の主人のものいいにはいつもと異った用捨のならぬ厳しさを感じて怖気立つのだが、手をついて畏まっているその顔が癖のニコニコと笑っているのには気が付かない。この笑顔が老夫人の癇にさわった。舐められているような侮蔑感から身内が熱してきた。
「お下り!」
徐かに云ったつもりであったが、ひきつけたように声が震えていた。
園子は、思いがけぬ激しい気色の母を見て、呆気にとられていた。おしもが下ると、
「お母さま!」
と小さく呼んで窺うように、
「お小皿を持ってくるように、っておしもへはわたくしが云いつけましたの」
園子は小皿ののっている盆を引き寄せて、
「しようのない娘《こ》ね、お箸を忘れているわ」
と笑った。そして、その笑い顔を崩さずに母へ向けて、
「あの娘、また何か粗相でも致しましたの」
と徐かに問うた。
炉の灰をかきならしていた老夫人は顔をあげて、ちょっと頬笑んだ。そして、何故ともなく眼を外して、
「あれの粗相は毎度のことです」
と溜息まじりに云った。粗相にしては、大きな粗相を仕出かしたものだ、と今度のことを思うのである。
「あれにも困りました」
云いかけて夫人は口を噤んだ。
先刻から園子の膝へもたれてキャラメルを剥いて遊んでいた女の子が今の騒ぎですっかり飴を忘れて、もの珍らしそうな眼つきで老夫人を視詰めている。その小さい眼が妙に気にかかって、云い出し難くなる。そして、あやすように、
「玉江さん、春やとお庭へ行ってごらんなさい。緋鯉が大へんに大きくなりましたよ」
声をかけると、「いや」とかぶりを振って一そう園子の膝へしがみつくようにする。
「この子は少し風邪気のようですからお家の方がいいのね。さ、こうやっておとなしくしていらっしゃい」
園子は子供の上へ屈みこんで、袂を着せかけた。
子供のいるということが妙に話を食い停めてしまう。老夫人は踏み出しのつかぬ気もちで焦れていたが、
「おしものことで、この間から相談をしてみたいと思うていたけれど、あの娘ももう年頃ですからねえ、どこか堅気なところへ嫁にやりたいと思うて……」
話がいつかそれていた。
「急には心あたりもないけど、会社の人でどなたかいないかしら? 横尾にも話して心がけさせておきますわ」
「そうして頂けばわたしも安気ですよ。あれは小々呆んやりだけれど、まあ、気立てはよい方ですからねえ」
それを云いながら、老夫人は自分の口を何やらよそものに感じた。
三
園子の持ってきた五もくを開いて遅い中食をすませたところへ唐沢氏が帰って来た。小刻みな性急な足どりで離れへ入ってきて、
「どうも、今日は眉が痒うて、珍客が来よると思っとったが、坊主だったのか」
大きな掌で、孫のおかっぱを掻きまわすような具合に撫でていたが、食卓の上の五もく鮨を見付けると指でひと撮み口へ投りこんでおいて、
「さあ、坊主、お祖父さまのお部屋へ行こう」
腰を屈めて自分も子供の背丈になり、手をつなぎあってチョコチョコと廊下を駈けて行く。いかにも好々爺然とした恰好であった。
「お父さま、お元気そうだこと」
廊下へ頸をかしげて見送っていた園子が独り言に云った。
「この頃は余計お元気でねえ」
老夫人が苦笑した。
「ほんとうにね、お父さまこの頃は工場の方もお廻りですって? 横尾からきいたんですけど、仲々お眼が届くから職工の働きが違うそうですわ。大そう能率が上るそうで、横尾なんか、とても叶わないって云ってますわ」
その話に、老夫人は素直に頷いた。そして、良人の活動力を尊敬する心が、ふと、それに繋がるおしもの存在を必要なものに考える。何人の妻がこの錯覚におちいることだろう。良人の活動力の源泉をおしもに見ることによって、おしもの存在が許される。妾というものの存在理由も、ひとつには、妻のこうした諦観的な態度に繋っている場合が多い。子供の頃の夫人は、母のこうした姿のみを眺めて暮してきた。父は羽後でも名だたる酒の醸造元で、今でも名酒と折紙をつけられている「鶴亀」「万代」など、この父の苦心の賜物であった。生来、活動的に出来ている体が、朝は明け切らぬうちから酒倉へ入って杜氏を励ましたり酒桶を見廻ったり、倉出し時には人夫に
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